昨日のミニコンサートと先日買ったみちかちゃん推薦の本「脳に悪い7つの習慣」を脳内で合体させたら、何やら化学反応が起きた!
今までトランペットで、「どうしても本番はこうなっちゃうなぁ…」と思うと嫌で仕方がなかった部分があった。絶好調で行けるものはいつも絶好調、心に何か引っかかってるものは、いい時と悪い時があっても悪い方が記憶に残って「ああ、やっぱり…」とか思いやすい。
で、次こそは!!!と気合が入れば入るほど、意識過剰なのでまたおかしいことになるってことがあった。
そうすると、思い浮かべたくないなぁ…と「拒否反応」に変わる。その曲を思い浮かべただけで、そのシチュエーションを思い浮かべただけで、もう嫌な感覚が出てくる。
いろいろな本も読んできたし、分かって来ていたつもりでもあったし、あ~まぁ考えてみれば常に未来の方がより知識が多くなるんだろうから、「あ~あのときは分かってなかったなぁ」となるんだろうけど…
そう…「楽器を吹く」ってことが、「やらねばならぬ」ことの感覚になってたなぁ…と気がついた。「かくあらねばならない」的なものがいっぱい。
「何をしたい」とか「なぜ楽器を吹くのか」とか「吹きたい」とか、そういう欲求をすっ飛ばして、『「職業音楽家であるからには、かくあらねばならない」に違いない!』という枠を自分で作ってばかりいたような気がするなぁ。
それでいて「かくあらねば」の「かく」の部分が、結構思いこみの部分が大きくて、「あれもできなきゃ」「これもできなきゃ」「これも必要か?」みたいな感じでハッキリしてない。
スタイリッシュに、「何でも来い」的な超マルチな状態をイメージしているにしては、全くマルチじゃない。
ずっと音色と歌い方を売りにしてきたのに、今ではその音色自体が自分的にかなり「???」。できていないといけない、と思いこんでる部分や、はみ出してはいけない、と思いこんでいる部分を重視しすぎるあまり、自分のいいところが良く分からなくなって来ていた気もする。
そうそう、で、どんな化学変化が起きたかだったけど、
「立ち向かっていこう」「何が問題なのかよく追体験してみよう」「楽器(=自分自身)と対話してみよう」というそういう気持ちになったこと。
嫌な体験の数々の思い出が怖くなくなった気がする。
今までは本当に思いだすだけで、心拍数も上がっちゃうよって感じで、その曲を吹くだけで楽器の吹き方が分からなくなるってこともあって、我ながらビックリ情けなかったけれど、なんだか急に「何が問題か」を冷静に見つめればいいんだ、みたいな気分になってきた。
まぁ、それは今日が休みだからかもしれないけれど、そういう気持ちの割合をガンガン多くしていくのは悪くない!
それと、「何かをしなくてはいけない」「ちゃんとやろう」という強迫観念を捨ててみることにした。
「音楽をしたい」「楽器を吹きたい」という最初に力いっぱい戻ってみる。
「義務感」から離れてみようと思う。
「○○したい」という気持ちになると、なぜか逆に「全く努力が足りなかったな」と思えてきた。
「○○しなきゃ」「○○すべき」と思っていた時には、結構頑張ってると思ってたのに。
なんと不思議なことでしょう。
もっとやれる気がする!
今までトランペットで、「どうしても本番はこうなっちゃうなぁ…」と思うと嫌で仕方がなかった部分があった。絶好調で行けるものはいつも絶好調、心に何か引っかかってるものは、いい時と悪い時があっても悪い方が記憶に残って「ああ、やっぱり…」とか思いやすい。
で、次こそは!!!と気合が入れば入るほど、意識過剰なのでまたおかしいことになるってことがあった。
そうすると、思い浮かべたくないなぁ…と「拒否反応」に変わる。その曲を思い浮かべただけで、そのシチュエーションを思い浮かべただけで、もう嫌な感覚が出てくる。
いろいろな本も読んできたし、分かって来ていたつもりでもあったし、あ~まぁ考えてみれば常に未来の方がより知識が多くなるんだろうから、「あ~あのときは分かってなかったなぁ」となるんだろうけど…
そう…「楽器を吹く」ってことが、「やらねばならぬ」ことの感覚になってたなぁ…と気がついた。「かくあらねばならない」的なものがいっぱい。
「何をしたい」とか「なぜ楽器を吹くのか」とか「吹きたい」とか、そういう欲求をすっ飛ばして、『「職業音楽家であるからには、かくあらねばならない」に違いない!』という枠を自分で作ってばかりいたような気がするなぁ。
それでいて「かくあらねば」の「かく」の部分が、結構思いこみの部分が大きくて、「あれもできなきゃ」「これもできなきゃ」「これも必要か?」みたいな感じでハッキリしてない。
スタイリッシュに、「何でも来い」的な超マルチな状態をイメージしているにしては、全くマルチじゃない。
ずっと音色と歌い方を売りにしてきたのに、今ではその音色自体が自分的にかなり「???」。できていないといけない、と思いこんでる部分や、はみ出してはいけない、と思いこんでいる部分を重視しすぎるあまり、自分のいいところが良く分からなくなって来ていた気もする。
そうそう、で、どんな化学変化が起きたかだったけど、
「立ち向かっていこう」「何が問題なのかよく追体験してみよう」「楽器(=自分自身)と対話してみよう」というそういう気持ちになったこと。
嫌な体験の数々の思い出が怖くなくなった気がする。
今までは本当に思いだすだけで、心拍数も上がっちゃうよって感じで、その曲を吹くだけで楽器の吹き方が分からなくなるってこともあって、我ながらビックリ情けなかったけれど、なんだか急に「何が問題か」を冷静に見つめればいいんだ、みたいな気分になってきた。
まぁ、それは今日が休みだからかもしれないけれど、そういう気持ちの割合をガンガン多くしていくのは悪くない!
それと、「何かをしなくてはいけない」「ちゃんとやろう」という強迫観念を捨ててみることにした。
「音楽をしたい」「楽器を吹きたい」という最初に力いっぱい戻ってみる。
「義務感」から離れてみようと思う。
「○○したい」という気持ちになると、なぜか逆に「全く努力が足りなかったな」と思えてきた。
「○○しなきゃ」「○○すべき」と思っていた時には、結構頑張ってると思ってたのに。
なんと不思議なことでしょう。
もっとやれる気がする!