暗い路地裏を、千鳥足で歩く男が居た。
手には携帯電話を持ち、彼は恋人と通話していた。
「飲まないとやってらんないのよっ!
もどかしいのは、あんただけじゃないのよぉぉ??」
いつも部屋に引きこもって勉強していると、ストレスが溜まってしょうがないのだ。
彼は恋人にそう話すと、電話先の遠藤修は苛立った声で言った。
「おい!お前今外だろ?恥を知れ!じゃーな!」
それきり電話はプツリと切れた。
そんな彼の態度に、男は地団駄を踏む。
こんなになるまで飲んで、貧乏でみすぼらしくて‥。
今の自分の境遇に、愛情も冷めて見捨てられたんだと男は涙を流した。
お金が無いと、こんなにも心が荒むものなのか。
お金に傷つけられ、お金に心奪われ‥。
そんな歌を口付さみながら帰宅する彼の前方から、長身の男が歩いてくるのが見えた。
酔っ払った足元は覚束なく、すれ違う時に互いの肩が触れる。
彼は酒の勢いもあり、目の前の長身の男に大きな声で言いがかりをつけた。
「ちょっとぉ!気をつけなさいよね!イケメンなら許されると思って‥」
青田淳は彼の方を振り返ったが、反論はせず「すみません」と謝って、
そのまま歩いて行った。
金がなんだってんだ~と愚痴りながら男は歩いた。
胸を焦がす~と次のフレーズを歌い出そうとしたが、何かが心に引っ掛かっている。
先程ぶつかった長身のイケメン。
振り返って見たその男の後ろ姿。
彼はその後姿に、見覚えがあった。
「淳?」
いきなり背後から名前を呼ばれた青田淳は、思わず振り返った。
「君‥淳だよね?」
その口調と顔立ちをじっと見ると、
淳の脳裏にも浮かんでくる残像がある。
「秀紀兄さん?」
かくして二人は再会した。
何年ぶりに会うのかさえ、もう思い出せないくらいだった。
二人の脳裏には昔の思い出が浮かぶ。
あの時から、もう十数年の時が流れていた。
二人は久々の再会に祝杯を上げた。
秀紀はすでに出来上がっていたが、二次会だと言ってもう一度酒を煽る。
「この近所に何か用事でもあったのか?」と問う秀紀に、淳は「大学がこの近くなんだ」と答えた。
秀紀は名門のA大に通う淳を褒め、彼の近況を聞いた。
ひと通り喋り終えた後、淳は素朴な疑問を口に出す。
「それにしても‥」
「秀紀兄さん、どうしてこうなっちゃったの?」
秀紀はそう言われて、思わずぐっと言葉に詰まった。
返す言葉もなく項垂れる彼に、淳は続けて尋ねた。
「家、追い出されたって聞いたけど、何があったの?」
秀紀は覚悟を決めると、「付き合ってる人が居るんだけど、両親に反対されて‥」とモゴモゴ答えた。
でもしかし、”追い出された”わけではない。
俺は自らの足で家を出たんだと、拳を固め胸を張る。
淳はその答えに目を丸くした。「恋愛沙汰ってこと?」と。
素朴な疑問が、口を吐いて出た。
「たかがそんなことのために、秀紀兄さんは全財産捨てて出てきたってわけ?」
淳の言葉に、秀紀は一瞬顔を曇らせたが、すぐにフッと照れ笑いをした。
「フフ~ 俺も自分が実はピュア男だったとはビックリだよ~!」
秀紀は仕方ないんだと言った。
無条件に自分自身を好きになってくれた人は、その人が初めてだったのだと。
きっとこれから先も、二度とそんな人は現れない‥。
照れて頭を掻く秀紀は、幸せな気持ちになった。
しかし淳はそんな彼を見て、自分の意見を淡々と述べた。
「秀紀兄さん頭でも打ったの?
正気に戻ってさっさと実家に戻った方が身のためだと思うけど?」
秀紀はその言葉に、一瞬固まって目を見開く。
だが、すぐにこう言った。
「‥だよなぁ」
お前はこんな俺を軽蔑するんだろ、と溜息交じりに言う秀紀。
すると淳はキョトンとした顔で、「こう思うのは俺だけじゃないと思うけど?」と言った。
「俺に”現実的に生きろ”と教えてくれたのは、秀紀兄さんじゃないか」
秀紀兄さんは、今更何を言っているのだろう。
淳の脳裏に、幼い頃から今までの彼が思い浮かんだ。
フン!と強がった後、秀紀は少し得意げに息を吐いた。
年下の男の子に、説教するような心持ちで。
「お前はまだまだだな!人生ってのは、
ドラマよりもっとドラマチックなんだぞ!」
お前が経験してないことだって山ほどあるんだと、秀紀は昔を思い出して言った。
財産も将来も全てを捨てて、身一つで家を出た自分。
いかに今まで多くのものに守られ、その中でぬくぬく暮らしていたかを実感した。
何の肩書きもない自分を、彼は受け入れてくれるだろうか?
そう思ってベンチにうずくまる自分を、彼は迎えに来てくれた‥。
その時のことを思い出して、秀紀はノロケた。
結局それからは満足な暮らしとはいえないけど、あの人が居るから暮らしていけると思えたと。
後々年老いてから、ドキュメンタリーに出るのが自分の素朴な夢だと、秀紀は感慨深げに言った。
しかし淳はその話に全く心を打たれた素振りを見せず、淡々と言った。
「そう。まぁ本人が良ければ俺が口出すまでもないけど‥」
全然心に響いてない‥。
その態度に秀紀は青筋を立て、淳に向かってずいと身を乗り出す。
「おい‥お前にはそんな人が傍にいるか?
一緒にドキュメンタリーに出演したい女がいるのかっつーの!」
秀紀は淳の歴代の元カノについて言及した。
ドキュメンタリーどころか、モデルハウスのCMに出てきそうなお堅い女達ばかりだったと言って、
彼はゲラゲラと笑う。
そんな秀紀に、淳は彼がそれほどノロケる相手について尋ねた。
「相当好きなんだね?何してる人?」 「えっ?」
秀紀は急に酔いが覚めていくのを感じた。
しまった‥!こいつもA大なんだった‥!
そう気付いてから、秀紀は相手のことになるとモゴモゴと口ごもった。
続けて聞いてこようとする淳の言葉を遮り、秀紀は幾分大きな声で言う。
お前もそんな人に出会い、心を揉まれ、そうすれば今自分が言っていることが分かるだろうと。
ああ、あの時秀紀兄ちゃんが言ってたのはこういうことだったのかと、気づくはずだ。
「いーな?!」
そう言って調子に乗った秀紀は、淳の身体をパシンと叩いた。
ハッと気がついた時には、目の前で淳は目を丸くしていた。
秀紀の脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
ガキのくせにませた事を口にして、ゲンコツを食らわせた時のこと。
目を丸くした淳は、秀紀の顔をその大きな瞳で見つめた。
そうしてそのお返しというように、振り返って見せたあの仕草。
あの後秀紀は、大人たちから大目玉を食らったのだった‥。
「お前変なことするなよ?!変なことするなよ?!」
また何か仕返しをされるんじゃないかと、秀紀はその身を庇いながら言った。
そんな彼の姿を見て、淳は溜息を吐く。
そして淳は言った。
「なんでこんなことくらいで怒らないといけないんだ」と。
それを聞いて安心した秀紀は、取り繕うように笑う。
「うはは!だよな!もうガキじゃないんだもんな。
お前も変わっただろうに!」
淳は酒を手に取ると、それをゆっくりと口に運ぶ。
「まぁ‥そんなとこかな‥」
自分が変わったのか、相手が変わったのか。
二人はその後も、酒をちびりちびりと飲んだ。
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<遭遇>でした。
この話で、秀紀さんは淳の親戚のお兄さんであり、遠藤修の恋人であり、赤山雪の隣人である、という
関係性が全て明かされましたね。
彼が言及する「ドキュメンタリー」とは、韓国で放映されている「人間劇場」という番組らしいです。
日本で言う情熱大陸のような番組だそうです。
日本語版では「自分のエッセー」という風に言い換えられていましたが‥。
次回は<小さな秘密達>です。
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