
突然現れた亮を見て、雪は息を飲んだ。
怒りと恐怖でガチガチになった心が、彼の顔を見て綻ぶ。
亮は先程から、雪に絡んでいる男が彼女を罵倒するのを聞いて、苛立っていた。
しかしそれと同等に、そんな男と関わっている雪にも腹が立っていた。

付き合ってる奴‥青田淳は狐野郎だし、目の前に倒れこんだ男は胡散臭い。
おかしな奴とばかり付き合うなと言う亮に、ようやく起き上がった横山が食って掛かる。
「てんめぇ!」

しかし顔を上げた横山はギョッとした。
相手はデカイ外国人で、しかも凄まじい形相をして横山を睨んでいる‥。

その強面度の高さに、思わず雪も冷や汗をかいて黙り込む。
亮を前にして幾分怯んだ横山だが、それでも弱々しく彼を非難し始めた。
「なんだお前‥いきなり人の背中に蹴り入れやがって‥」

ブツブツと言葉を続ける横山に、亮は溜息を吐いてみせる。
目の前の男は見るからに弱々しい。亮には余裕があった。
「そういうテメーは道端で女引き止めてピーピーピーピー。見るからに姑息そ~。
このダサ男をどうしましょっかね~」

亮は軽い調子で、横山に向かって片目を瞑る。
そのちゃらけた態度に、横山は逆上した。
「んだと?!この卑怯ヤンキー野郎が!」そう彼は声を荒げ、拳を握った。

しかし亮は冷静だった。
喧嘩の場数を踏んできている亮は、この先に起こる出来事を予測し、自分がどう振る舞うのが一番良いか計算していた。
殴られてやるか?避けるか? 怪我したフリして十万くらい騙し取ってやるか‥

しかしふと心が反応し、隣に居る雪の姿が目に入った。
このまま殴られることに、本能的な躊躇いを感じる。

結局考えがまとまる前に、横山の拳が亮に向かって振るわれた。
亮は咄嗟に手が動き、彼の拳を振り払う。

横山にとって、思わぬ出来事だった。
横山は痛みに顔を歪めながら、そのままたたらを踏んで壁に叩きつけられた。
亮の予想外の強さに、思わず顔が青ざめる。

亮は全く話にならない、とばかりに溜息を吐き、ポケットに手を突っ込んだ。
「細身のくせにどんだけ鈍いんだよ。わざと殴られてやろうとも考えたけど、ムカついてな」

呆れたように横山を見下ろす亮の隣で、
彼を睨む雪の姿があった。

その目つき(それはまるで虫を見るような目つきだった)に、横山の苛立ちが爆発する。
「全く大した女だぜ。福井に青田に‥次は外国人までそそのかしやがって」

雪が、そして亮が制止しようとするも、もう横山の口は止まらなかった。
罵詈雑言が炸裂する。
「知れば知るほど汚ぇ女だぜ。オレが色んな女に言い寄ってるだの何だのって、
くだらない説教してたくせによぉ!お前こそあっちこっち尻尾降りやがって、この尻軽‥」

そこまで言ったところで、亮の堪忍袋の緒が切れた。
ガシッと後ろから横山の首根っこを掴み引き寄せると、左手で力いっぱい殴りつける。

横山はそのまま地面に転がり、暫く蹲ったまま震えていた。
雪は両手を組み合わせたまま、顔面蒼白で事の成り行きを静観している。

しかしこれだけでは終わらなかった。
亮は再び横山を引っ張り上げると、首を持ったまま壁に押し付けた。絞り出すような低い声を発する。
「てめぇこの野郎‥お前みたいな野郎、よ~く知ってるぜ」

亮の脳裏に、暗く沈んだ記憶が蘇ってくる。
その忌々しい記憶を噛みしめるように、亮は一言一言に憎しみを込めて言った。
「エゴイズムの塊で、自分が世界で一番可哀想だと思っていて」

「自分には何一つ非は無く、全て他人のせいだ‥!」

絶望の淵で見上げた”ピアノ君”は嗤っていた。あのニヤついた口元‥。
目の前の横山に、彼の面影が重なる。
首元を掴んだ手に力が入り、亮の手の甲に血管が浮き出た。
「そうだよ、てめぇみてぇな野郎のことだよ!人生思い通りにいかねーからって、
女とっ捕まえて言い掛かりつけてるてめぇみてぇな奴は、言葉じゃ通じねぇ」

「痛い目見ねぇと分かんねぇか」

瞳の奥に、憎しみの炎が揺れる。
そのままもう一度亮は拳を振り上げ、横山が恐ろしさに息を飲んだ。

雪が止めに入ろうとしたが、亮の拳は横山に向かって振るわれた。
否、横山の顔面15センチ横の壁に、その拳はめり込んだ。

怯えて肩を震わせる横山に、亮がクックックと可笑しそうに笑う。
雪は終始戸惑いっぱなしだ。

亮が「ビビってやんの」と馬鹿にしたように言うと、
横山はカッと赤面した。未だ腰が抜けているのか、咄嗟に立ち上がることも出来ない。


さっさと失せろ、と言って亮が横山を軽く蹴る。
横山は屈辱的な表情をしたまま、その場から駆け出そうとした。

しかし雪の方を振り返ると、最後に捨て台詞と言わんばかりに声を荒げた。
「今度こそ訴えてやるからな!示談もクソも無ぇと思いやがれ!」

横山の口から「訴える」という言葉が出て来たことで、亮が若干ギクリとして冷や汗をかいた。

しかし雪の方はというと、その呆れた物言いにとうとう堪忍袋の緒が切れた。
溢れんばかりの怒りに、亮も目を丸くする。
「やれるもんならやってみなさいよ!こっちだって黙っちゃいないんだから!
録音機!信じようが信じまいが、勝手にすればいいわ!」

雪の怒気とその言葉に、若干横山は怯んだ。
しかし続けて「あの録音機はオレが既に‥」と居直りを口にしかけたところで、
雪が畳み掛けるように口を開く。
「あと、訴えるですって? もし二人が警察署に行くなら、私が証言するから」

この脅しが通用するかどうかは分からないが、雪は表情を緩めず強い口調で彼を責め続けた。
「もしそんなことしたらあんたが去年ストーカーしたことも、
この期に及んで脅迫までしたことも全部証言するから!それとこの状況が正当防衛だってこともね!」

そして雪は、とどめの一撃を食らわせた。
「どっちの言い分が正しいか知りたいなら、一度試してみればいいわ」


キリキリとした緊張の糸が、二人の間に張り詰められた。
横山は信じるだろうか? 雪のハッタリに近い先ほどの話を。
祈るような気持ちで、雪は彼の出方を見た。お願いだから、騙されてくれ‥!
「あーあーそうかよ!せいぜい今を楽しむんだな!」

やった、と雪は思った。
先ほどの話が通用したのだ。表情には出さないように、雪は心の中でガッツポーズを決めた。

無礼にも人差し指で雪の方を指しながら、尚も横山は言葉を続けた。
「どうせすぐに青田の野郎に泣かされて終わるんだ!アレが本気なワケねーだろ!
去年オレにお前を勧めたんだぜ?!」

横山の言葉に、亮の顔色が変わる。
淳の名前と穏やかではない事情の断片が言及されたことで、亮は訝しげな表情を浮かべた。

そして実は雪も、横山の言葉に反応していた。
去年拭っても消えなかった先輩への不信が、再び顔を出す‥。

横山は狡そうな表情をしながら、言葉を続けた。
「健太先輩だって、前みたいにお前をかわいがってくれると思うか?
新学期が始まるのが楽しみだなぁ?ああ?」

ネチネチとまだ続けようとする横山に、亮が耐え切れずに声を荒げた。
「失せるならさっさと失せやがれ!野郎のくせにしつけーんだよ!!」

「どうせ通報されんならこの際全身ギッタギタにしてやってもいいんだぞ?!おととい来やがれ!!」
そう言って腕まくりをしながら近寄る亮に、恐れおののいて横山は路地裏から走り出た。

チキショウ、と言い捨てて走り去って行く横山の後ろ姿を、
SKK学院塾に通う男子学生たちが目撃し、ニヤニヤと嗤いながら噂話に興じた。


そうして再び横山は去って行った。
雪の心に不穏な影を残しつつ、来学期に降りかかる災難を匂わせて‥。
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<彼、再び退場>でした。
亮の場慣れ感が頼もしい!又斗内との時はわざと殴られて慰謝料を請求したのに、
今回は雪を守る意識が働いて戦った亮!ブラボー!
次回は<続いていく関係>です。
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