青田淳は、伊吹聡美と福井太一が居るはずの病室へと向かっていた。
薄暗い病院内を、一人歩いている。

病室に着き、室内を見回してみると、ぐっすりと眠る二人の姿があった。

淳は病室内をもう一度見回し、端の方の椅子に積まれているブランケットに目を留めた。
その内の一つを手に取る。雪に掛けてあげる為のものだ。

すると淳の足元に、何かがコツンとぶつかった。
見てみると、それはおもちゃの車だった。

淳が腰を屈めてそれを拾うと、一人の女性が駆け寄ってきた。
そのおもちゃの車は、弟の物だと言う。
「壊れたとか言って放り投げては見当たらないって大騒ぎして‥。ここにあったのね」

壊れているんですか? と言って淳は車をじっくりと見た。
おもちゃの車の手慣れた扱いに、女性は「もしかして直せたりします?」と彼を仰ぎ見て聞いた。

多分、と言って淳は頷き、懐かしそうに目を細めた。

子供の頃沢山持っていたと言って、ふっと微笑む。
その端正な顔立ちに浮かんだ柔らかな笑みを見て、女性の頬が染まった。

「こんなうるさいおもちゃの何がいいのかサッパリだわ」
女性はそう言って、幾分困ったような仕草をして見せた。

淳は車体をいじりながら、世間話のような調子で言葉を紡ぐ。
思い通りに動くから、子供達は皆好きなんでしょうと言って。
「ええ?あちこちぶつかってばっかりですよ?」

はは、と淳は笑って見せた。
そして、電池切れだと思いますと言って女性にその車を渡した。
淳は先ほど売店で買ってきた聡美達への差し入れを、袋から取り出しベッド脇に置く。

女性は車を受け取ると、「とにかくこれは隠しておかないと‥」と続けた。

どうしてですか? と淳が問う。
大丈夫ですよ、と言った後、言葉を続けた。
子供達はすぐに飽きてしまうから、と。

淳は聡美と太一を振り返り、彼らを起こしてしまうので僕はこれで、と言って病室から出て行こうとした。
しかし尚も女性は淳に話しかける。
「あの二人のお連れさんなんですか?」

女性は聡美と太一を見ながら、自分の推測を口にした。
「見た感じ入院患者さんではなさそうだし‥でもこの時間まで居るってことは彼女さん?
あ、違うかな? 他の男の人もいるもんね」

女性の推測に対し、違いますよと言いながら淳は笑う。
再び聡美と太一を振り返りながら、大学の後輩ですと答えた。

女性はどこの大学かと聞こうと身を乗り出したが、
ではこれで、と言って淳はそのまま背を向けた。

女性が彼を惜しんで舌打ちした。


コツ、コツ、と革靴の足音が、
誰も居ない廊下に響く。

淳の指が、トントンと動いている。
これは彼の癖だった。
心の扉が開いている時の、無意識な癖。

自分の足音しか、聞こえない空間。
彼は一人だった。

廊下を歩いているうち、吹き抜けが見渡せる場所に差し掛かった時、彼は立ち止まった。
開けた空間。
窓の外に浮かぶ、ぼんやりと灯る光の粒。

淳は見とれるように、その場に立ち尽くした。
ゆっくりと辺りを見回す。
横、前、下‥と、淳の顔が動く。

そこには、無人の空間が広がっていた。
下のロビーにも、吹き抜けで見渡せるどの階の廊下にも、誰も居ない。

青田淳は今この空間の中で、一人きりだった。
己のみで完結している、簡素で、そして完璧な世界。
立ち止まった今、自分の足音さえも聞こえない。
静寂が彼を包み込み、そして彼はそれを享受する。

騒がしい人々の声も、いつも晒されているその視線からも、彼は解き放たれた。
口元には自然と、笑みが浮かんでいた。

淳はその時呟いた。
たった一言だけ。
ああ、静かだ。
たったそれだけを。


淳が手術室の前に戻ってくると、そこに彼女は座っていた。
淳はゆっくりと近寄る。

彼女は眠っていた。
頭を前に傾げ、ヨダレを垂らして熟睡している。

淳はそんな彼女を見て、
ふっと微笑んだ。

持って来たブランケットを広げて、彼女に掛けてやる。

淳はそのまま彼女に向かって手を伸ばし、
顔に掛かった髪の毛を、そっと耳に掛けてやる。

眠っている彼女の顔が露わになる。
淳はそれを見て、笑みを浮かべた。

目の前に居る彼女、赤山雪が、長い睫毛を伏せて寝息を立てる。

その顔を眺めながら、淳は満足そうに微笑んだ。

先ほど伊吹聡美と福井太一のことを、”後輩”と呼んだ声が蘇る。
目の前のこの子も、後輩である。
しかし、ただの後輩ではない。
淳は確かめるように、声に出した。
「俺の彼女‥」

言葉にしたら、それは確信となった。
他とは違う、特別な存在。同じ世界の狭間を生きる、唯一の理解者。
淳はもう一度その事実を、声に出して享受した。
「うん、俺の彼女だ」

淳はようやく見つけ出した答えを愛おしむように、真っ直ぐに彼女を見つめた。
淳の瞳の中央に、雪の姿が映る。
それは暗く静謐な場所に灯った、一点の光明だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<彼の中の静寂>でした
病院内で一人笑みを浮かべる青田淳‥。やっぱり変わってますね、この人は。
皆様もお気づきでしょうが、おもちゃの車のところの会話は、彼が周りの人々や自分の人生に対する彼自身の感想を暗喩したものです。
そして最後の「俺の彼女」。
今回はそこだけ先輩のセリフとして青で反転させました。
雪に関わる度出てくる、自分でも予測できない感情に振り回され苛立っていた先輩は、「俺の彼女」と
言葉にすることで、彼女の存在と自分の感情をようやくまるごと受け入れることが出来たのでしょうね。
<淳>扉の開いた日(下)が、先輩→雪への第一のターニングポイントだとしたら、
この回が第二のターニングポイントかなと思ってます。なので同じ表現を少し入れてみました。気づく方いらっしゃるかな^^
さて次回は<夢の中で<黒い服>>です。
2013.10.12の記事、<夢の中で<白い服>>と少し対になった話でもあります。
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薄暗い病院内を、一人歩いている。

病室に着き、室内を見回してみると、ぐっすりと眠る二人の姿があった。

淳は病室内をもう一度見回し、端の方の椅子に積まれているブランケットに目を留めた。
その内の一つを手に取る。雪に掛けてあげる為のものだ。

すると淳の足元に、何かがコツンとぶつかった。
見てみると、それはおもちゃの車だった。

淳が腰を屈めてそれを拾うと、一人の女性が駆け寄ってきた。
そのおもちゃの車は、弟の物だと言う。
「壊れたとか言って放り投げては見当たらないって大騒ぎして‥。ここにあったのね」

壊れているんですか? と言って淳は車をじっくりと見た。
おもちゃの車の手慣れた扱いに、女性は「もしかして直せたりします?」と彼を仰ぎ見て聞いた。

多分、と言って淳は頷き、懐かしそうに目を細めた。

子供の頃沢山持っていたと言って、ふっと微笑む。
その端正な顔立ちに浮かんだ柔らかな笑みを見て、女性の頬が染まった。

「こんなうるさいおもちゃの何がいいのかサッパリだわ」
女性はそう言って、幾分困ったような仕草をして見せた。

淳は車体をいじりながら、世間話のような調子で言葉を紡ぐ。
思い通りに動くから、子供達は皆好きなんでしょうと言って。
「ええ?あちこちぶつかってばっかりですよ?」

はは、と淳は笑って見せた。
そして、電池切れだと思いますと言って女性にその車を渡した。
淳は先ほど売店で買ってきた聡美達への差し入れを、袋から取り出しベッド脇に置く。

女性は車を受け取ると、「とにかくこれは隠しておかないと‥」と続けた。

どうしてですか? と淳が問う。
大丈夫ですよ、と言った後、言葉を続けた。
子供達はすぐに飽きてしまうから、と。

淳は聡美と太一を振り返り、彼らを起こしてしまうので僕はこれで、と言って病室から出て行こうとした。
しかし尚も女性は淳に話しかける。
「あの二人のお連れさんなんですか?」

女性は聡美と太一を見ながら、自分の推測を口にした。
「見た感じ入院患者さんではなさそうだし‥でもこの時間まで居るってことは彼女さん?
あ、違うかな? 他の男の人もいるもんね」

女性の推測に対し、違いますよと言いながら淳は笑う。
再び聡美と太一を振り返りながら、大学の後輩ですと答えた。

女性はどこの大学かと聞こうと身を乗り出したが、
ではこれで、と言って淳はそのまま背を向けた。

女性が彼を惜しんで舌打ちした。


コツ、コツ、と革靴の足音が、
誰も居ない廊下に響く。

淳の指が、トントンと動いている。
これは彼の癖だった。
心の扉が開いている時の、無意識な癖。

自分の足音しか、聞こえない空間。
彼は一人だった。

廊下を歩いているうち、吹き抜けが見渡せる場所に差し掛かった時、彼は立ち止まった。
開けた空間。
窓の外に浮かぶ、ぼんやりと灯る光の粒。

淳は見とれるように、その場に立ち尽くした。
ゆっくりと辺りを見回す。


横、前、下‥と、淳の顔が動く。

そこには、無人の空間が広がっていた。
下のロビーにも、吹き抜けで見渡せるどの階の廊下にも、誰も居ない。


青田淳は今この空間の中で、一人きりだった。
己のみで完結している、簡素で、そして完璧な世界。
立ち止まった今、自分の足音さえも聞こえない。
静寂が彼を包み込み、そして彼はそれを享受する。

騒がしい人々の声も、いつも晒されているその視線からも、彼は解き放たれた。
口元には自然と、笑みが浮かんでいた。

淳はその時呟いた。
たった一言だけ。
ああ、静かだ。
たったそれだけを。


淳が手術室の前に戻ってくると、そこに彼女は座っていた。
淳はゆっくりと近寄る。

彼女は眠っていた。
頭を前に傾げ、ヨダレを垂らして熟睡している。

淳はそんな彼女を見て、
ふっと微笑んだ。

持って来たブランケットを広げて、彼女に掛けてやる。

淳はそのまま彼女に向かって手を伸ばし、
顔に掛かった髪の毛を、そっと耳に掛けてやる。

眠っている彼女の顔が露わになる。
淳はそれを見て、笑みを浮かべた。

目の前に居る彼女、赤山雪が、長い睫毛を伏せて寝息を立てる。

その顔を眺めながら、淳は満足そうに微笑んだ。

先ほど伊吹聡美と福井太一のことを、”後輩”と呼んだ声が蘇る。
目の前のこの子も、後輩である。
しかし、ただの後輩ではない。
淳は確かめるように、声に出した。
「俺の彼女‥」

言葉にしたら、それは確信となった。
他とは違う、特別な存在。同じ世界の狭間を生きる、唯一の理解者。
淳はもう一度その事実を、声に出して享受した。
「うん、俺の彼女だ」

淳はようやく見つけ出した答えを愛おしむように、真っ直ぐに彼女を見つめた。
淳の瞳の中央に、雪の姿が映る。
それは暗く静謐な場所に灯った、一点の光明だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<彼の中の静寂>でした
病院内で一人笑みを浮かべる青田淳‥。やっぱり変わってますね、この人は。
皆様もお気づきでしょうが、おもちゃの車のところの会話は、彼が周りの人々や自分の人生に対する彼自身の感想を暗喩したものです。
そして最後の「俺の彼女」。
今回はそこだけ先輩のセリフとして青で反転させました。
雪に関わる度出てくる、自分でも予測できない感情に振り回され苛立っていた先輩は、「俺の彼女」と
言葉にすることで、彼女の存在と自分の感情をようやくまるごと受け入れることが出来たのでしょうね。
<淳>扉の開いた日(下)が、先輩→雪への第一のターニングポイントだとしたら、
この回が第二のターニングポイントかなと思ってます。なので同じ表現を少し入れてみました。気づく方いらっしゃるかな^^
さて次回は<夢の中で<黒い服>>です。
2013.10.12の記事、<夢の中で<白い服>>と少し対になった話でもあります。
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