パチッと、雪は目を開けた。

一瞬何が起こったのか、自分がどこにいるのか分からなかったが、
凭れていたところからパッと身を離す。

隣の彼は、腕組みをしたまま眠っていた。
コックリコックリ、ゆっくりと船を漕ぎながら。

雪はその横顔を見ながら、複雑な気分に駆られた。
現実世界だけでなく、この人は夢の中でも口が達者だった‥。

すると手術室の扉が開き、聡美の父親を乗せた担架が出て来た。
手術は終了し、今からリカバリールームへ移るそうだ。

雪は突然の出来事に咄嗟に対応出来ず、横で眠る先輩の肩を揺すった。
先輩先輩、と雪は何度も呼びかける。

しかし先輩は唸るばかりで、一向に起きる気配が無い。
雪は深く眠りに入っている彼を前に、困り顔だ。

雪はブランケットを先輩に掛けると、
そのまま聡美達が居る病室へと向かった。

回復室にて、聡美が医師から説明を受ける。
雪と太一は、カーテンで仕切られた部屋のドア側で聡美を待っていた。

暫し時が経ち、説明の終わった医師が聡美に会釈して病室を出て行く。
繰り返し頭を下げる聡美の声のトーンは明るく、思わず雪と太一は笑顔になった。

聡美も笑顔で二人に向き直り、駆け寄った。
「峠は超えたって!運が良かったみたい」

その言葉に雪と太一は安堵し、彼女の父親の無事を心から喜んだ。
しかし聡美は、まだ手放しで喜ぶわけにはいかないようだ。
「‥だとしても当分は、リハビリを受けなくちゃいけないみたいだけど‥」

そう言って少し俯いた聡美の、滲んだマスカラで汚れた顔を雪は指で拭いてやる。
太一が力強く、しかし優しく、その肩を抱いてやる。
「すぐに良くなるって」 「そうっすよ、心配ないっすよ!」

聡美は二人に心からお礼を言った。
もう時刻は深夜二時を過ぎている。こんな遅くまで傍にいてくれたことに、聡美は感謝していた。

先ほど聡美の父親の友人から連絡が入り、もうじきここへ駆けつけるとのことだった。
姉もようやく飛行機に乗ったらしい。
聡美がもう大丈夫だからそろそろ皆も帰って、と言おうとすると、太一が強い口調でそれを遮る。
「オレ、ずっとここにいます」

聡美はそんな彼を、きょとんとした顔で見上げている。

二人はそれから、普段通りの調子で言い合いを始めた。
聡美が鼻をつまみながら、シャワーでも浴びてこいと太一にダメ出しする。
どうやら太一はゲーム三昧のあまり風呂に何日も入っていないようだ。

そんな聡美と太一の様子を見て、雪はようやく心の底から安堵した気がした。
非日常の中に戻って来た日常。それはこんなにも温かい。
「あっ」

不意に青田先輩のことを思い出し、思わず雪はそう声を出した。
そのまま二人に彼の元へと戻る旨を伝え、駆け出した。


タッ、タッ、とペタンコの靴で歩く音が、
誰も居ない廊下に響く。

雪はぼんやりと一人歩きながらも、心の中で様々な想いが交錯するのを感じていた。
閑散とした病院の廊下を歩いている途中、
あらゆることが頭に浮かび、そして一瞬にして消えていった。

雪の脳裏に、今までの出来事の数々が走馬灯のように過っていく。
今まで自分の傍には誰が居ただろう。今まで自分の人生には何があっただろう‥。
家族、友達、同期、後輩、先輩、上司、先生、知り合い、隣人、彼氏、
モラル、態度、関係、礼儀、色々な思いや考え方




何人もの人が居た。
好きな人も、嫌いな人も、そのどちらでもない人も。
幾つもの出来事があった。
嬉しい事も、悲しいことも、そのどちらにも判断がつかないものも。
そしてその中に映る、曖昧な私の姿‥

雪は雪の人生の中で主役であるはずなのに、
彼女はどこかぼやけた自分自身のイメージを、その走馬灯の中に見た。
様々な人の色々な思い、それが彼女の心を揺らし、騒がし続けていた。

雪は吹き抜けが見渡せる場所で、幾つもの光の粒が舞う外の風景を見た。
彼女は一人でありながら、一人ではなかった。
三年生の夏休みの半分が、こうして過ぎていった

時の流れと自らの運命を、彼女はただそのままに享受する。
心の中を賑わすその喧噪に、必死に耳を傾けながら。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<<雪>彼女の中の喧噪>でした。
さて<<淳>彼の中の静寂>と対称になっていたのがお分かりになりましたでしょうか?
二人は同じシチュエーションで同じ場所を歩いているのですが、
心の中はまるで正反対ですね。
誰も居ない淳と、沢山の人が居る雪と。
これがピントのズレに繋がるんですが、残念ながらそのことに先輩が気づいていないですね‥。
さて次回は<もう一度ここから>です。
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一瞬何が起こったのか、自分がどこにいるのか分からなかったが、
凭れていたところからパッと身を離す。

隣の彼は、腕組みをしたまま眠っていた。
コックリコックリ、ゆっくりと船を漕ぎながら。

雪はその横顔を見ながら、複雑な気分に駆られた。
現実世界だけでなく、この人は夢の中でも口が達者だった‥。

すると手術室の扉が開き、聡美の父親を乗せた担架が出て来た。
手術は終了し、今からリカバリールームへ移るそうだ。

雪は突然の出来事に咄嗟に対応出来ず、横で眠る先輩の肩を揺すった。
先輩先輩、と雪は何度も呼びかける。

しかし先輩は唸るばかりで、一向に起きる気配が無い。
雪は深く眠りに入っている彼を前に、困り顔だ。

雪はブランケットを先輩に掛けると、
そのまま聡美達が居る病室へと向かった。

回復室にて、聡美が医師から説明を受ける。
雪と太一は、カーテンで仕切られた部屋のドア側で聡美を待っていた。

暫し時が経ち、説明の終わった医師が聡美に会釈して病室を出て行く。
繰り返し頭を下げる聡美の声のトーンは明るく、思わず雪と太一は笑顔になった。

聡美も笑顔で二人に向き直り、駆け寄った。
「峠は超えたって!運が良かったみたい」

その言葉に雪と太一は安堵し、彼女の父親の無事を心から喜んだ。
しかし聡美は、まだ手放しで喜ぶわけにはいかないようだ。
「‥だとしても当分は、リハビリを受けなくちゃいけないみたいだけど‥」

そう言って少し俯いた聡美の、滲んだマスカラで汚れた顔を雪は指で拭いてやる。
太一が力強く、しかし優しく、その肩を抱いてやる。
「すぐに良くなるって」 「そうっすよ、心配ないっすよ!」

聡美は二人に心からお礼を言った。
もう時刻は深夜二時を過ぎている。こんな遅くまで傍にいてくれたことに、聡美は感謝していた。

先ほど聡美の父親の友人から連絡が入り、もうじきここへ駆けつけるとのことだった。
姉もようやく飛行機に乗ったらしい。
聡美がもう大丈夫だからそろそろ皆も帰って、と言おうとすると、太一が強い口調でそれを遮る。
「オレ、ずっとここにいます」

聡美はそんな彼を、きょとんとした顔で見上げている。

二人はそれから、普段通りの調子で言い合いを始めた。
聡美が鼻をつまみながら、シャワーでも浴びてこいと太一にダメ出しする。
どうやら太一はゲーム三昧のあまり風呂に何日も入っていないようだ。

そんな聡美と太一の様子を見て、雪はようやく心の底から安堵した気がした。
非日常の中に戻って来た日常。それはこんなにも温かい。
「あっ」

不意に青田先輩のことを思い出し、思わず雪はそう声を出した。
そのまま二人に彼の元へと戻る旨を伝え、駆け出した。


タッ、タッ、とペタンコの靴で歩く音が、
誰も居ない廊下に響く。

雪はぼんやりと一人歩きながらも、心の中で様々な想いが交錯するのを感じていた。
閑散とした病院の廊下を歩いている途中、
あらゆることが頭に浮かび、そして一瞬にして消えていった。

雪の脳裏に、今までの出来事の数々が走馬灯のように過っていく。
今まで自分の傍には誰が居ただろう。今まで自分の人生には何があっただろう‥。
家族、友達、同期、後輩、先輩、上司、先生、知り合い、隣人、彼氏、
モラル、態度、関係、礼儀、色々な思いや考え方




何人もの人が居た。
好きな人も、嫌いな人も、そのどちらでもない人も。
幾つもの出来事があった。
嬉しい事も、悲しいことも、そのどちらにも判断がつかないものも。
そしてその中に映る、曖昧な私の姿‥

雪は雪の人生の中で主役であるはずなのに、
彼女はどこかぼやけた自分自身のイメージを、その走馬灯の中に見た。
様々な人の色々な思い、それが彼女の心を揺らし、騒がし続けていた。

雪は吹き抜けが見渡せる場所で、幾つもの光の粒が舞う外の風景を見た。
彼女は一人でありながら、一人ではなかった。
三年生の夏休みの半分が、こうして過ぎていった

時の流れと自らの運命を、彼女はただそのままに享受する。
心の中を賑わすその喧噪に、必死に耳を傾けながら。
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<<雪>彼女の中の喧噪>でした。
さて<<淳>彼の中の静寂>と対称になっていたのがお分かりになりましたでしょうか?
二人は同じシチュエーションで同じ場所を歩いているのですが、
心の中はまるで正反対ですね。
誰も居ない淳と、沢山の人が居る雪と。
これがピントのズレに繋がるんですが、残念ながらそのことに先輩が気づいていないですね‥。
さて次回は<もう一度ここから>です。
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