「選ばれし50人?」12月4日
『「編集会議」に教員50人』という見出しの記事が掲載されました。教科書会社の三省堂が、教員に現金を渡して採択を有利に運ぼうとしていたという疑惑について報じる記事です。記事によると、『「三省堂」が「編集会議」の名目で小中学校の教員に検定中の教科書を閲覧させて現金を渡していた問題で、同様の会議は2009年度以降計7回開かれ、参加した教員は全国で約50人に上ることが同社の内部調査で分かった』ということです。
さらに記事は、14年度の状況について、『都内のホテルで、青森や大阪、福岡など11の府県から公立小中学校の校長や教頭ら11人を招集。「編集手当」として現金5万円を渡し、会議後の懇親会費や宿泊費、交通費も負担していた』と生々しく報じています。
またか、という思いです。教科書の採択時期を迎えるたびに、こうした不祥事が発覚します。教科書会社にしてみれば、採択の有無によってその後4年間の「儲け」が左右されるのですから、動機は常にあります。そうした意味では驚きはありません。一方、自分のキャリアが傷つき、何らかの処分が避けられないいもかかわらず、「5万円」と引き換えに危ない橋を渡ろうとする教員側の無自覚さ、無警戒が不思議でならないと感じる人は少なくないと思います。誰しもカネは欲しいですが、「5万円」に目が眩むほど、校長や教頭の給料は低くはありませんから。
実はこの問題には、教員にしか分からない「名誉」の発想が影響しているのです。私は、教員は教えることのプロ、授業の専門家である、と主張し続けてきました。プロとして専門家としての技量や知見を認められ評価されることは、教員にとって大きな喜びであり、自尊心を満足させるものなのです。しかし、そうした評価が行われる場所は案外少ないのです。保護者や子供からの評価も嬉しいものですが、そこには相性や運という要素があり、素人による評価だという面もあります。やはり、専門家からの評価が欲しくなるのです。
私自身の経験でいえば、社会科の実践家、研究家として多少は認められるようになったのは、都の教育研究員に任命されたときでした。そのときの晴がましい思いは今も覚えています。研究員に任命されるまで、区の教育研究会で何回も研究提案をし、全国規模の研究団体の研究論文集に論文を掲載されるなどの実績を重ねていたことが評価されたという気がしたものです。
さらに、都教委の開発委員を務め、全国研究大会の基調提案についての作成者の一人になり、研究所に配属されて研究生として研究を進めるなど研究家としてのキャリアを重ねました。そうした研究歴に箔をつけるのが、教科書の著者になることです。しかしこれは、一つの教科において全国で10数人しかいません。とてつもない「難関」だからこそ、その教科のトップクラスの研究家としての証明になるのです。
私程度の能力では、遠すぎる頂上でした。しかし、教科書の指導書の作成者やアドバイザー的なポジションであれば、無理ではありません。実際、私もそうした仕事をしてきました。それもまた「名誉」の一つであり、自尊心を満足させることでした。
すべて、20年以上昔の話です。今では、いわゆる「癒着」はほとんどありません。しかし、当時の私がもっていた「虚栄心」ともいえる心情は、今も研究熱心で実践家としての自負がある教員の心の底にあるはずです。それは、授業を行わない管理職になっても変わりません。教員の世界は、法や経営の手腕に優れた管理職よりも教員として卓越した管理職を尊敬する風潮が残っているからです。
今回の50人の中にも、自分は教科書会社がわざわざ意見を聞きたがるほどの専門性の持ち主なのだという思いから「編集会議」への参加を決めた人がいるはずです。この問題の根は深いのです。