親が決める(12月8日)
携帯電話の学校持ち込みについて、いくつかの新聞社が社説で取り上げていましたが、その中に、「社説橋下知事の「禁止宣言」を機会に家庭も責任を自覚すべきだ。携帯電話を持たせるなら親が使用ルールを決め、守らせてほしい」という提言がありました。この社説は、この提言がどのような事態をもたらすか分かっているのでしょうか。とんでもないことになってしまうと思います。
例えば、ある保護者が、「お母さんかお父さんが、あなたのことを心配してメールしたら5分以内に返信をする」という使用ルールを決めたらどうなるでしょうか。授業中や休み時間にメールが入り、子どもはすぐにメールを打ち始めます。教員が注意しても、「うちの決まりなんだよ」と言い返されるでしょう。また、保護者が、「携帯電話でのゲームは1日1時間以内。ただし、家庭では決められたスケジュールを守って勉強すること」という使用ルールを決めれば、子どもは家での勉強時間を確保するために学校でゲームをすることになるでしょう。このケースでも、教員が注意しても、「子どもなりに計画的に使おうとしているのに。誰に迷惑をかけるわけでもないでしょう。なんでいけないのですか。携帯電話については親がルールを決めることになっているのでしょう」と保護者から文句がくるでしょう。杞憂ではありません。塾での勉強に集中できるように学校では休ませてください、と言う保護者が実際にいるのですから。社説を書かれた方は、「親の良識」に対してある程度の信頼感をもっているようですが、残念ながらその現状認識は甘すぎるといわざるを得ません。
中途半端な取り組みは、保護者のばらばらな主張を助長し、それに対応する学校を苦しめるだけです。多くの例外規定も同様です。この問題では、学校を守る(そのことが子どもを守ることになる)ために、教育委員会が悪者になるべきです。教育委員会が断固たる方針を示し、ルールが守られない場合は携帯電話の一時預かり等の強硬措置をとることを文書で通知し、保護者の苦情やマスコミの取材に対して教育委員会が防波堤となって立ち向かう覚悟を示すべきです。学校丸投げや保護者を信頼するふりをすることだけは避けなくてはなりません。
携帯電話の学校持ち込みについて、いくつかの新聞社が社説で取り上げていましたが、その中に、「社説橋下知事の「禁止宣言」を機会に家庭も責任を自覚すべきだ。携帯電話を持たせるなら親が使用ルールを決め、守らせてほしい」という提言がありました。この社説は、この提言がどのような事態をもたらすか分かっているのでしょうか。とんでもないことになってしまうと思います。
例えば、ある保護者が、「お母さんかお父さんが、あなたのことを心配してメールしたら5分以内に返信をする」という使用ルールを決めたらどうなるでしょうか。授業中や休み時間にメールが入り、子どもはすぐにメールを打ち始めます。教員が注意しても、「うちの決まりなんだよ」と言い返されるでしょう。また、保護者が、「携帯電話でのゲームは1日1時間以内。ただし、家庭では決められたスケジュールを守って勉強すること」という使用ルールを決めれば、子どもは家での勉強時間を確保するために学校でゲームをすることになるでしょう。このケースでも、教員が注意しても、「子どもなりに計画的に使おうとしているのに。誰に迷惑をかけるわけでもないでしょう。なんでいけないのですか。携帯電話については親がルールを決めることになっているのでしょう」と保護者から文句がくるでしょう。杞憂ではありません。塾での勉強に集中できるように学校では休ませてください、と言う保護者が実際にいるのですから。社説を書かれた方は、「親の良識」に対してある程度の信頼感をもっているようですが、残念ながらその現状認識は甘すぎるといわざるを得ません。
中途半端な取り組みは、保護者のばらばらな主張を助長し、それに対応する学校を苦しめるだけです。多くの例外規定も同様です。この問題では、学校を守る(そのことが子どもを守ることになる)ために、教育委員会が悪者になるべきです。教育委員会が断固たる方針を示し、ルールが守られない場合は携帯電話の一時預かり等の強硬措置をとることを文書で通知し、保護者の苦情やマスコミの取材に対して教育委員会が防波堤となって立ち向かう覚悟を示すべきです。学校丸投げや保護者を信頼するふりをすることだけは避けなくてはなりません。