本音と建前(12月1日)
愛知県の私立高校の男子寮に生徒用の喫煙室が設けられていたことが発覚しました。県警は、校長らから事情を聞き、容疑が固まり次第、書類送検する方針だそうです。この高校では、隠れて喫煙する生徒が後を絶たず、昨年1月には女子寮トイレでたばこの火が原因と見られるボヤが起きていたそうです。さらに、2、3年生の男子生徒5人が、隠れてたばこを吸ったとして1年生の男子生徒2人に暴行し、鼻の骨を折るなどのけがを負わせる事件もあったといいます。同校は、不登校などの生徒を支援する全寮制の高校で、校長は、「20歳以上の生徒もおり、校外での喫煙は山火事の危険もあったため、やむなく喫煙場所を設けた。今後、指導室は廃止し、全校集会などを通して禁煙指導を徹底したい」と話しているそうです。
要するに指導困難校なのです。そこで高校で喫煙室は悪いということは百も承知の上で「現実的」な対応策をとっていたということなのでしょう。こうした事件が起きると、学校を非難する意見とともに、現実の厳しさを強調し規則を盾にとった杓子定規な対応を批判する「学校だけに責任を負わせてこと足れりという態度ではいけない」という見解が紹介されます。「服装で合否判定」の神奈川県立高校の事例や「点数操作で不合格」の都立高校の事例でもそうした声が聞かれました。
しかし、学校教育では建前こそ大切です。学校教育から建前を排し、本音で教育を行うことになれば、「何でうちのクラスに障害者がいるんだ。担任がその子への対応に時間をとられて勉強が遅れる。どっかよその学校に移せ」「馬鹿な奴と一緒だから授業が退屈なんだ。馬鹿はバカだけで集めて遊ばせておけ」「体育や美術なんか受験に関係ない。それより英語と数学の時間を増やせ」ということにつながっていきかねません。ある意味では、学校は清く正しく美しい偽善の場所、厳しい世間とは異なる場所でなければならないのです。
ただし、厳しい現実に苦しんでいる学校を放置しろというのではありません。学校教育以外の教育機能、特に家庭教育、保護者の責任を厳しく問う方向に教育行政の舵を切るべきなのです。考えてみれば、「人生を左右する大切な受験の場にはきちんとした服装で行くのですよ」ということは家庭で指導すべきことなのです。未成年者が喫煙や飲酒をしてはいけないということも保護者がきちんと躾ることです。こんなことを学校で指導してもらおうということ自体、まともな保護者であれば恥であると感じるべきなのです。
「寮に喫煙室」、「服装で合否判定」、「点数操作で不合格」、いずれも高等学校での事例です。高等学校は義務教育ではありません。ルールを守れない生徒は退学させればよいのです。社会的に常識となっているルールを守れないような子どもを育てた保護者に文句を言う権利はありません。こうした社会的合意の形成に務めることが必要です。
愛知県の私立高校の男子寮に生徒用の喫煙室が設けられていたことが発覚しました。県警は、校長らから事情を聞き、容疑が固まり次第、書類送検する方針だそうです。この高校では、隠れて喫煙する生徒が後を絶たず、昨年1月には女子寮トイレでたばこの火が原因と見られるボヤが起きていたそうです。さらに、2、3年生の男子生徒5人が、隠れてたばこを吸ったとして1年生の男子生徒2人に暴行し、鼻の骨を折るなどのけがを負わせる事件もあったといいます。同校は、不登校などの生徒を支援する全寮制の高校で、校長は、「20歳以上の生徒もおり、校外での喫煙は山火事の危険もあったため、やむなく喫煙場所を設けた。今後、指導室は廃止し、全校集会などを通して禁煙指導を徹底したい」と話しているそうです。
要するに指導困難校なのです。そこで高校で喫煙室は悪いということは百も承知の上で「現実的」な対応策をとっていたということなのでしょう。こうした事件が起きると、学校を非難する意見とともに、現実の厳しさを強調し規則を盾にとった杓子定規な対応を批判する「学校だけに責任を負わせてこと足れりという態度ではいけない」という見解が紹介されます。「服装で合否判定」の神奈川県立高校の事例や「点数操作で不合格」の都立高校の事例でもそうした声が聞かれました。
しかし、学校教育では建前こそ大切です。学校教育から建前を排し、本音で教育を行うことになれば、「何でうちのクラスに障害者がいるんだ。担任がその子への対応に時間をとられて勉強が遅れる。どっかよその学校に移せ」「馬鹿な奴と一緒だから授業が退屈なんだ。馬鹿はバカだけで集めて遊ばせておけ」「体育や美術なんか受験に関係ない。それより英語と数学の時間を増やせ」ということにつながっていきかねません。ある意味では、学校は清く正しく美しい偽善の場所、厳しい世間とは異なる場所でなければならないのです。
ただし、厳しい現実に苦しんでいる学校を放置しろというのではありません。学校教育以外の教育機能、特に家庭教育、保護者の責任を厳しく問う方向に教育行政の舵を切るべきなのです。考えてみれば、「人生を左右する大切な受験の場にはきちんとした服装で行くのですよ」ということは家庭で指導すべきことなのです。未成年者が喫煙や飲酒をしてはいけないということも保護者がきちんと躾ることです。こんなことを学校で指導してもらおうということ自体、まともな保護者であれば恥であると感じるべきなのです。
「寮に喫煙室」、「服装で合否判定」、「点数操作で不合格」、いずれも高等学校での事例です。高等学校は義務教育ではありません。ルールを守れない生徒は退学させればよいのです。社会的に常識となっているルールを守れないような子どもを育てた保護者に文句を言う権利はありません。こうした社会的合意の形成に務めることが必要です。