ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

専門家を使う専門家

2020-06-06 08:27:01 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「専門家って」5月30日
 書評欄に、東大特任講師内田麻理香氏による『「専門知を再考する」H.コリンズ、R.エヴァンズ著、奥田太郎監訳(名古屋大学出版会)』の書評が掲載されていました。同書は、自然科学において『「そもそも、専門知とは何か」という問いを立てて検討する』ものです。ですから、私がこのブログで言及することが多い、教員=教えること・授業の専門家というときの「専門知」とはイコールではないでしょうが、参考になる部分は多いと思い、読んでみました。
 「専門知」は5つのレベルがあるということです。①『最も下位の「ビアマット知識」は、雑学クイズに正答するたぐいの知識』、②『「科学の通俗的理解」は、「抗生物質はウイルス感染症を治さない」などの科学的知識の理解』、③『一次文献などを読んで得られる「一次資料知識」』、④『対話型専門知は「専門分野の、実践についての専門知を欠いた、言語についての専門知」』、⑤『最上位に位置するのが、「貢献型専門知」である。これは、特定分野に属し、熟練した実践をしてその分野に貢献する専門家がもつ知識のこと』。
 書かれている内容は、それこそ専門的過ぎて、私の能力ではよく理解できませんでした。ただ、私なりに「教えること・授業」の分野にあてはめてみると、①は、「小学校の授業時間は何分?」という問いに応えられるレベル、②は「子供の答えが間違っていても、そこに至る過程を認め評価することが大事」というような教育に関する基本的な原則を知っているレベルとなります。
 さらに、③は、大学の教員養成課程において教材として使われる書物を読んでレポートをまとめたことがあるレベルとなるでしょう。ただ、④と⑤がイメージできないのです。「実践」ということになると、実践経験のない者は⑤には該当しないことになってしまいます。つまり、教員経験者以外は⑤のレベルに達しないということになってしまうのです。そうなると、多くの教育評論家や大学の教授などは、④のレベル、実践はしないが、授業や教えることについて語ることができるレベルということになってしまいます。また、教育問題をライフワークにする政治家や教育行政に携わる行政官はどのレベルの専門家になるのかも分かりません。
 また、⑤の「貢献型専門知」の条件として「暗黙知」の獲得があげられています。ちなみにここでは「暗黙知」について、『それを保有する集団に馴染むことによってのみ獲得できる深い知識のことを指す』としています。授業に習熟した教員集団に馴染むことが必要なのだということになるのでしょうか。そうであれば、やはり教育評論家や大学の教授、教育問題をライフワークにする政治家や教育行政に携わる行政官は、⑤になることは難しいことになります。
 ほかにも気になったのは、『科学者が、必ずしも他分野の貢献型専門知をもっているわけではない』という記述です。つまり、⑤レベルの呼吸器内科の専門医だからといって⑤レベルのウイルス感染症についての専門知をもつ専門家だとは言えないということです。これを教えること・授業に当てはめると、⑤レベルの歴史の授業の専門知をもつ教員も、地理の授業では⑤レベルとは言えないということです。
 最近の学問傾向を見ると、「専門」が限りなく細分化されていく傾向にあるように思います。歴史や地理という大まかなものでなく、「江戸初期の海外貿易政策の変遷」というような細かい専門であり、その研究で⑤レベルの専門知をもつと評価されている学者が、古代史においては、せいぜい一般の文科系の大学院生レベルということがあり得るということです。
 そうなると、教員=教えること・授業の専門知を有する者という言い方は通用しなくなり、学校の授業についても、特定の教科等についての専門知ということになり、授業全般についての専門知というものは存在しないというのが実態なのかもしれません。
 つまり、授業について専門知を集結して最適解を見出すという場合、幼少中高大各学校の、各教科の専門知を集めるということになり、100人を超す専門家を集めなければならないということになります。しかも実際には、授業を支える施設や設備の専門知、授業を行う教員育成の専門知などの終結も必要で、それもまたIT機器の専門知、プログラミングの専門知などに細分化されていくとすれば、いったい何人の専門家を集めればいいのか、気が遠くなってしまいます。
  よく分からないことだらけになってしまいましたが、学校教育についての議論を有効なものにするためには、多くの専門知を調整・統合する専門知を有するコンダクターのような存在が必要ということは言えそうです。教育行政の充実には、そうした人材を意図的に養成していくことが重要なのかもしれません。

 

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