「もう限界」6月12日
『教員給与段階的引き上げ 処遇改善へ 残業時間に目標値』という見出しの記事が掲載されました。『公立学校教員の処遇改善を目的とした教員給与特別措置法などの改正法が11日、参院本会議で賛成多数により可決、成立した』ことを報じる記事です。
本件についての解説では、改正の目玉とも言える残業時間30時間という目標に対し、『業務削減の「実行部隊」となる教育委員会からは「現場の実態を理解していない」との声も上がっており(略)学校行事の精選や開校時間の短縮、ICT機器の活用による効率化などに取り組んできた。「できることはおおむねやってきたが、45時間の達成すら難しい』などの反発の声が寄せられていることが紹介されていました。
校長からも、『計画作りが教委に丸投げの状態。教委から学校に丸投げされる可能性もある』『教委と管理職に大変なところを押し付ける内容』『働き方改革では工夫する余地がほぼない(略)学校だけでできることは限界にきている』などの声があがっているとのことです。
教委と校長の懸念に、全面的に同意します。残業30時間は非現実的目標です。もちろん、その範囲の治まる教員もいるでしょうし、ある月の残業が30時間を下回ることもあるでしょう。しかし、ほぼすべての教員が、大部分の月で30時間を下回るなどということは、現状ではあり得ません。
記事では、表面的に残業を減らすため持ち帰り業務が増えるという懸念が示されていますが、ほぼ間違いなくそうなります。また、いじめや問題行動が発生したとき、真摯に向き合おうとすると膨大な時間外勤務が発生します。それを避けるために、事態の軽視や隠蔽が横行する可能性もあると考えます。そうなれば、学校に対する地域社会の信頼は地に落ちてしまいます。
こんな事態を招いて、それで教職志望者が増加するでしょうか。あり得ません。文科省は、根本的に学校の業務削減に取り組む必要があります。それは、会議の効率化や行事の精選などの小細工ではなく、学校とは何をするところか、教育の何を担うのか、という基本的なところからの見直しでなければなりません。
私はこのブログで再三学校は子供が勉強するところだという素朴な原点に返ることを主張してきました。具体的には、部活の完全地域移行、給食の廃止、儀式的行事を除く学校行事の廃止、教育課程外の生活指導の廃止などが必要だと述べてきました。教員は授業をし、授業が円滑に行われるように学校内の生活指導を行う人だと定義し直すのです。
朝練も休日の練習もなければ、昼食時に給食指導をすることもありません。手作りの弁当でもコンビニ弁当でも構いません。家庭が用意し、決められた時間内に食べて自分で片づけて持ち帰る、教員は職員室で授業準備や採点やノートの点検をするのです。運動会も学芸会もなくなれば、その練習に年間十数時間も費やすことはなくなります。移動教室や林間学校、修学旅行の引率や実地踏査の時間も無くなります。そもそも、給食も移動教室等も、日本が貧しく、昼食を準備できない家庭やどこにも旅行したことのない子供がいた時代の遺物です。現代には不要です。
休日に子供が万引きしたからといって、担任が店にまで出向き謝罪し、子供を引き取って話を聞き、指導し、家庭に引き渡し、保護者を指導し、というようなことが続く限り、教員は休日や夜間でも寛ぐことができません。
もちろん、多くの反論があることは百も承知です。到底実現できないことも分かっています。給食にも移動教室にも運動会にも、いくつもの教育効果があることも理解しています。でも、これくらいの大風呂敷を広げて初めて、小さな削減が可能になるのです。
授業以外はすべて削減や廃止の対象とする、それくらいの覚悟で国民的な議論を巻き起こすべきです。反論には、それなら○○人の教員の増員が必要で、年間○○億円、10年間で〇兆円の予算化が必要、一家庭当たり年間△万円の増税、というところまで踏み込んで議論するのです。文科相が数代にわたって選挙で落選するくらいの憎まれ役にならなければなりません。