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畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

奇跡のユリ「ゆきのひかり」の花が開いた!(再掲)

2017-10-25 13:39:46 | 暮らし


 先日紹介した奇跡のユリ「ゆきのひかり」が我が家のホールで見事に開きました。
滝沢種苗さんから頂いた蕾の「ゆきのひかり」が花器の中で咲いたのです。


 蕾の時は「新テッポウユリ」の蕾の形を見せています。


 開くと、純白の花弁を見せてくれます。


 その純白の花弁の中に、薄いピンク色の「山ユリ」の名残の筋が見えます。
(花粉が衣服に着くと落ちにくいので雄蕊は取り去っています)


 先回紹介しましたが、市井の一農業者、育種家が世界中の植物学会を驚かせたのですから痛快な話です。
結果から偉人とも言える「滝沢久寛」氏は、この他にも20種類を越えるユリや芍薬の新品種を生み出されました。

 植物検疫法の関係だと思いますが、今のように花の大国オランダから大量の球根が輸入される時代では無かった。
そんな中、新品種の開発に、多忙な時間の中研究に励んだ人々がいた事は驚くような事実です。

 好奇心旺盛と言うか、何事にも創意工夫の姿勢を忘れない「滝沢久寛」氏には多くの事を学びました。
さつま芋の栽培方法も、氏に伺って昔よりも楽な栽培方法を取り入れる事が出来たのです。
病を得て、多くを語らなくなられた同氏ですが、何時までも長生きをして頂きたいと願ってやみません。 

 (3年前の記事を再アップします。「ゆきのひかり」の生みの親『滝沢久寛』氏は21日に天国に召されました。)

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大輪のユリの花が散りました

2017-10-25 06:38:12 | 暮らし

 先日、敬愛する「滝沢種苗」のオジーちゃんが亡くなられました。

連れ合いである、オバーちゃんがスベルべママの母上の妹でつまり叔母さんです。

 そんなことで、スベルべが結婚した後お付き合いが始まりました。

とは言っても、その頃はオジーちゃんも働き盛りで、多忙を極めお話することもままならない状況でした。

 その後、仕事の第一線から引退され、好きなさつま芋作りにまい進。スベルべはその指導を受けることに。

本当にありがたいお話で、畝の作り方、マルチシートの張り方から教えて頂きました。

 

 スベルべママが押しているのがオジーちゃんで、叔母さんが押しているのがスベルべママママ。

4人で、越後丘陵公園を訪れた際の光景で、この後4人で近くの宿泊施設で一夜を過ごしました。

 

 越後丘陵公園を見物した後は、新潟県立博物館を見学。

好奇心、向学心あふれるオジーちゃんは、車いすながらも熱心に身を乗り出して見ておられました。

 

  このひなびた湯治場「栃尾又温泉」にも何回か御一緒させて頂きました。

義母と、伯父さん夫妻の三人連れの湯治を「湯見舞い」と称して、訪問していたのでした。

 

  この栃尾又温泉「自在館」には、佐梨川沿いの「下の湯」とその上の「上の湯」があります。

この、「下の湯」には、長い階段を上がり降りするので、オジーさんとスベルべは専ら「上の湯」利用。

 

 (これは、家族風呂で、大きな湯治専門の大浴場とは違います)

 大きな浴場にオジーさんとスベルべの二人の事も多く、心を開かれて色々なお話をしてくださいました。

若い時に、太平洋戦争に従軍したお話。そして捕虜として抑留されたお話。花卉栽培のお話などです。

  そのお話は「滝沢種苗」のホームページhttp://takiyuri.com/historyに紹介されています。

染色体が違い絶対に交配は無理だと言う植物学会の定説を破った新種のユリ「ゆきのひかり」の誕生は奇跡です。

 全世界の植物学会を驚かす偉業でイギリスの王室ガーデニング研究所をはじめアメリカの学者も来訪。

一時期は大型バスでの見学者などもあり、仕事にならなかったよと笑って話されました。

 もっともスベルべの心に残るお言葉があります。

すべてのお話を自慢することも無く淡々と話され、その話の枕詞とでも言うべきありました。

 それは「俺は運のよい男でのう」と言うお言葉です。なんと謙虚なお話言葉でしょうか。

そんな謙虚な姿勢が、芍薬・ユリで20品目を越える登録品種を作った原点だったのかと思っていました。

 栃尾又温泉で伺ったお話は忘れてはならないと、文章にしています。

後日「ゆきのひかり」の写真を見つけたら、一緒に紹介することにしましょう。

 巨星落ちる、大輪のユリの花が散る。そんな感慨を覚えているスベルべです。

波乱に満ちたともいえる生涯を終えられた「滝沢久寛」さん、安らかにお眠りください。

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来賓?誰が?(その3終わり)

2017-10-25 05:14:17 | 暮らし

 その、サキソフォン奏者が絶賛の母校の校歌全員合唱です。

全体の指揮を執られるのは、校長先生であり、音楽が専門とお聞きしています。

 でも、全校児童数は70人余りであり、少々の寂しさは否めません。

何せ、団塊時代のスベルべは同級生だけで2クラス98名でしたから。

 

  その素晴らしい絶賛された校歌の歌詞です。

地元の音楽関係者では無く、著名な作詞、作曲者にお願いしているところに当時の地元の熱意を感じます。

 

  校歌合唱を終え、6年生全員(なんと6人でした)による閉会の挨拶で音楽会は無事に終了。

変わった来賓のスベルべはスーツ姿でオートバイに跨り農天市場にご帰還です。

 スーツは言え、シャツはスタンドカラーにベストのノーネクタイスタイル。

でも、帰途に就く皆さんの視線を痛いほど感じるスベルべでした。

 

  その後、交代でスベルべママがお出かけ。

 着替えたスベルべは、交代で農天市場の店番。焼き芋釜の前でこんな雑誌を眺めながらです。

 60周年を迎える我が母校の第2回卒業生がスベルべです。

この日、5、6年生を見て、思わず脳裏に当時の我が姿が浮かぶのでした。

 良い設備、良い教員に恵まれた素晴らしい教育環境です。

スベルべの夢は、都会の小学生たちを農村留学させること。きっと子供たちは逞しく育つはずですから。

          (終わり)

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