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新約聖書「ルカによる福音書」

2019-04-21 12:09:31 | 日記
新約聖書「ルカによる福音書」
第9章 悪霊に取りつかれた子をいやす
39 悪霊が取りつくと、この子は突然叫び出します。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。

神を信ずる信仰をもたないことが結果するもの

2019-04-21 10:03:23 | 日記
人間は“神の子”であり
神とともに生きるべく誕生した存在であります。
神を信ずる生き方と信じない生き方とは
現象の世においては
異なる方向に行きます。
人間とは何かを知るべきなのです。
(参考 信仰と愛行による新生 ステラ・テリル・マン 谷口雅春訳 日本教文社)
<1935年以来、アメリカで睡眠薬使用が増えたことについて>
【犯罪、少年の非行、離婚、アルコール中毒、その他の社会悪が増加の傾向にあるからだと報ぜられている。併し、それは何故であるか? そして何故、この薬品濫用時代に於いて、心臓疾患、癌、その他、治療の道なき殺人病が結局驚くべきほどに増加しつつあるのだろうか。世界で最も富み、地上で最も自由であるアメリカ国民が精神的にも、霊的にも、肉体的に一掃されんとしつつあるのは何故であるか。何故吾々はある作家が形容したように“野犬のように野垂れ死に”しなければならないのか。】
<神を信ずる信仰をもたないならば、精神的にも肉体的にもまた霊的にも行き詰まってしまう想念、言語、動作へと導かれる道を歩み出すことになる>
【その“何故?”はだ、“われわれは幾久しく「神」に赴くことを忘れていたからなのである。”
此処にその答全部があるのである~わたし達は“神”に赴くことを忘れたときに、直ぐ“野垂れ死に”の道を歩みはじめるのである。何故なら、もしわたし達が神を信ずる信仰をもたないならば、自分を信ずることも、人類同胞をも信ずることも出来なくなり、もう一歩進めば、精神的にも肉体的にもまた霊的にも行き詰まってしまう想念、言語、動作へと導かれる道を歩み出すことになるのである。】

現象に活きてはたらく“神の子”(生命の実相)在り

2019-04-21 09:10:54 | 日記
現象に活きてはたらく視えない実相人間“神の子”が
現象世界に自由にはたらいているその様子を
臨済禅師は
見事に表現しています。
縦の真理(実相独在)を理解する上で
臨済録は
核心を衝いていて
現象に活きて働く創造の神の「心」を
巧みな表現で指摘しています。
臨済録の訳は
朝比奈宗源さんという
かつて臨済宗円覚寺派の管長さんだった人のものでないと
全く理解できないです。
現象なしを自覚しない学者では
実相を説くことは不可能です。
「心は形は無いが、十方世界に充ち満ちて、目の前に生き生きとはたらいている」と臨済は説きますが、
これこそ藤原敏之先生が
「見えるものはなくて見えないものがある」とお説きになっているものと同一内容であり、
見えないものとは“実相の心”のことであります。
その円満完全なる「神の心」が
宇宙に充満しているわけです。
(参考 臨済録 朝比奈宗源 タチバナ教養文)
<演出する人を看て取る>
【舞台上の人形がいろいろの仕草をするのは、みな舞台裏の人の演出だ。その人を看て取らなくてはならない。】
<祖師や仏とはお前たちがそこでこの説法を聞いている“そいつ”がそうだ。>
【お前たちがもし外に向って求めまわる心を断ち切ることができたなら、そのまま祖師であり仏である。お前たち、祖師や仏を知りたいと思うか。お前たちがそこでこの説法を聞いている“そいつ”がそうだ。ただ、お前たちはこれを信じ切れないために外に向って求める。(そんなことをして)たとえ求め得たとしても、それは文字言句の概念で、活きた祖師の生命ではない。】
<説法を理解する「人」がいる>
【修行者よ、お前たちはその影法師を操っている「人」を見究めねばならない。それこそ諸仏の本源であり、仏道修行者の究極の安心の場である。お前たちの肉体が説法を理解するのでもなく、お前たちの五臓六腑が説法を理解するのでもなく、また虚空が説法を理解するのでもない。では、いったい何が説法を理解するのか。お前たちの目前にはっきりと存在し、これという形は無いが、自ら明らかにその存在を意識しているもの、そいつが説法を理解するのだ。】
<“神の子”“実相”の自由なはたらき>
【修行者たちよ、心は形が無くて、しかも十方世界を貫いている。眼では見、耳では聞き、鼻では聞き、口では話し、手ではつかまえ、足では歩いたり走ったりするが、もともとこれも一心が感覚器官を通してはたらくのだ。根本の一心が無であると徹底したならば、いかなる境界に入ってもとらわれることはない。】
<心は形は無いが、十方世界に充ち満ちて、目の前に生き生きとはたらいている>
【心は形は無いが、十方世界に充ち満ちて、目の前に生き生きとはたらいている。大抵の人はこれを信じきることができないで、菩薩だ涅槃だという名相や言句を学び、文字や概念の中に、仏法を求めようとする。天と地ほどの見当ちがいだ。】