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“一層善い人になろう”という念願を起して最初の第一歩を踏み出せばあなたは神を見出します

2019-04-22 10:58:25 | 日記
私は青年時代に
神経症になり、
10年近くそれで苦しんだこと、
そして小学校教師になってしばらくして
道徳科学のグループたちと
最高道徳を学んだこと、
さらに坐禅に月一で通い、
真言宗で結縁灌頂を受け、
坂東札所めぐりをしたこと、
その後「生命の実相」の信仰の道へと
心が動いていったこと等すべてに
「自己神性」が働いていたのだということが、
今日の以下の引用文で
よく分りました。
潜在意識の働きと「自己神性」の働きが一つとなり、
現在の私に導いていたみたいです。
「善」の希求と「神」の希求とは
一つもののようです。
(参考 信仰と愛行による新生 ステラ・テリル・マン 谷口雅春訳 日本教文社)
<“一層善い人になろう”という念願を起して最初の第一歩を踏み出せばあなたは神を見出します>
【こう説明しても、彼女は感銘を受けた様子が全然なかった。そこでわたしは更に強調することにした。わたしはこのように言ったのです。~
「あなたは、こうして何事に対してでも何人に対してでも、敢て破壊的態度をもって臨むような極端な心境になって来たのです。これではまったく自殺行為です。あなたは愛することを学ばねばなりません。そうでないと愛に飢え渇いて餓死することになります。それをあなたはよく知っているのです。あなたは知っていながら、その真理から逃げ出そうとしているのです。そしてそれを悟ろうとしないのです。神はあなたに起ちあがって神の御許に還って来いと仰言っているのです。しかし神は決してそれを強制しようとはせられないのです。あなたは先ず一層善き人になろうという念願を起さなければなりません。この最初の第一歩をあなたが歩み出せば、あなたは神を見出します。そして続々と、人びとがやって来て着実に熱心にあなたに協力してくれる~そういう状態が出てくるのです。しかしあなた自身がそれを受けることを拒んでいれば誰もあなたの自由意思を蹂躙(ふみにじ)ってまで、あなたを引き上げることはできないのです。わたしはあなたのために祈ってあげることはできます。ずっとあなたのために祈りをつづけることにしましょう。併し、“一層善い人になろう”という念願を起すのは、あなた自身であって、誰もほかの人が、あなたの代りにその念願を起すことはできません」】

“実相人間”の活殺自在のはたらき

2019-04-22 10:11:39 | 日記
無依の道人(実相人間)とは
「円満完全大調和」であるところの
視えない神の理念であり、
神の“いのち”であり、
それが“生命の実相”である。
“神の子”は神の創った人間の“設計図”なのだから、
不確かな存在ではないのである。
それは“神”であるから、
何ものの力をも借りることのない実在だ。
動でもあり不動でもある、
神の肖像(にすがた)でありつまり“神”であり、
“神の心”でもある。
聖経『続々甘露の法雨』にある
【汝は神の子なり、仏身なり、
金剛身なり、不壊身なり、
無病身なり、常楽身なり。】
である。
(参考 臨済録 朝比奈宗源 タチバナ教養文)
<“こいつ”は姿・形はないが、何ものの力をも借らずにありありと存在している。>〔投稿者は“実相が独在している”という意味だと解釈します〕
【お前たち、真実の道心を発(おこ)すことは容易なことではない。仏法は幽玄ではあるが、根本が手に入れば、あとはすらすらといける。毎日わしが口を酸っぱくして説いているのに、お前たちは一向注意しない。朝から晩まで大道の真只中で起ったり坐ったりしていながら、ちょっとも気がつかない。“こいつ”は姿・形はないが、何ものの力をも借らずにありありと存在している。お前たちはこれを信じきることができず、徒らに観念の上で理解しようとして、年が50近くになっても、まだその屍骸をひっかつぎ、妄想の荷物を背負って天下を右往左往している。そんなことでは死んだ後、閻魔さんに草鞋戦(わらじせん)を請求される日があるであろう。】
<不動清浄の境地をもって正しい悟りだとしたならば、盗人をつかまえて主人公と思い込むようなものだ。>〔投稿者はただ神想観だけしていて一向に“現象なし”を悟ろうとしない信仰者を思います。〕
【お前たちは、わしが外に向って求めても法が無いと説くと、その真意を理解しないで、今度は内に向って求めようとして、壁に向って坐禅をし、舌で上の顎を支えて、じっとして動かず、その静かに澄みきった境地こそ、祖師門下の悟りであるという。これも大きな錯(あやま)りだ。お前たちが、もしその不動清浄の境地をもって正しい悟りだとしたならば、盗人をつかまえて主人公と思い込むようなものだ。古人が、「澄みわたった黒暗の深い抗こそ本当に怖れなければならない」と言っているのはそこである。】
<無依の道人こそ、その動を用い不動を用いているのだ。>
〔投稿者は“実相人間は”“神の理念”であるので“神の国”を表現するためには活殺自在の働きをするのだと判断しました。〕
【こういうとお前たちは、それならば動くところが正しいとすればよいのかと考えるかも知れないが、すべての草木もみな動くことはある。まさかそれが悟りだとも言えまい。動くのは四大元素のなかの風大のため、動かないのは地大のためだ。動にも不動にも、ともに実体はない。お前たちが、もし無依の道人を動のところでつかまえようとすれば、彼は不動の処に立ち、もし不動のところでつかまえようとすれば、彼は動の処に立つであろう。譬えば、池の中の魚が波をくぐって自由に跳ねまわるようなものだ。お前たち、動と不動とは二つの境地である。無依の道人こそ、その動を用い不動を用いているのだ。】