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わが救いは神よりぞ」(『詩篇』第62篇1節)という真理を素直に受け取った人々によってのみ神癒は行われていることを

2019-04-07 16:03:02 | 日記
先ずは投稿内容をごらんください。
(参考 奇蹟の時は今 J.E.アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
<心霊治療家は患者に対して、全能の神に対する彼自身の信仰を念送して移入する>
【わたしは何もこの現象に私的な依怙贔屓(えこひいき)的説明をしようとするものでないことを知って頂きたいのである。実際、わたし自身祈りを実践して来たのであるが、世界の人々が奇蹟と称して来た現象に比較すればそれ以上のものがあるのである。第3章に於いて筆者が説いて来た如く、心霊治療家は患者に対して、全能の神に対する彼自身の信仰を念送して移入する。もし患者が癒されんと欲するならば、神の全能の力が働いて彼は癒されるのである。あらゆる神癒の共通分母とも称すべきものはやはり、イエスが言った言葉の中に見出されるのである。即ち彼が「なんじの信仰なんじを癒せり」とか「なんじの信ずる如くなんじに迄成れ」とか言った“それ”である。筆者アディントンも神癒の媒介となったことがあるが、われみずからにては何人をも癒したことはないのである。われわれの同胞として、パウロは「神のほかに此の世に力は存在しないのである」(『ロマ書』第13章1節)と言った。この真理を理解することはきわめて重要である。なぜなら、一体全体、神の力なくして神癒はあり得ないからである。聖書全体を通じて、「わが救いは神よりぞ」(『詩篇』第62篇1節)という真理を素直に受け取った人々によってのみ神癒は行われていることを見出すのである。】
<わたしは、彼の内に宿り給える神の完全なる力を瞑視することを続けた>
【彼を治療するにあたって、わたしの念ずる内容は、“バズ(病者の名前)は完全なる宇宙大生命と一体である”ということであった。わたしは「宇宙大生命はあらゆる方面にわたって、その完全さを彼に注ぎ給い、その完全なる大生命の流れは、彼の全心身に貫流し、彼の人生経験の一切に満ちわたって導いてい給うのである」と念ずることにした。わたしは黙念のうちで、「彼は神の御声のみを聴く」ように求めた。という意味は、彼は、内部の耳をもって、彼を解放するところの真理を聴く、そして彼自身が神の肖像(にすがた)としてつくられた者であるからその造り主の如く完全であること。そしてその造り主なる神の生命は彼の内に今も在(ましま)すということであった。わたしは、彼の内に宿り給える神の完全なる力を瞑視することを続けた、そして人生の行路は突兀(とっこつ)たる剣難の道だと彼が考えている事によって影響されることを拒絶した。】
私はこんなことはじめてだが自分の名前を神想観中にとなえ、
自分は神の子だから神の力のおかげで円満完全であり、
全能の神に絶対他力の信仰で「神の子を顕わす」ことを
お任せすることを決めた。
自力でなく神の絶対力に
「神の子円満完全」をゆだねることにしたのである。
直接自分の名を挙げて自分が真理キリストであることを神に全托せよと、
啓示を受けた気がした。
今日の投稿記事がきっかけである。