われわれは、如何にしてそのような“絶対の信”の境地に達することができるのであるか
“絶対の信に達するための方法は
「神は生命であり、愛であり、美であり~その神に道交することが出来るのであり、神も亦われわれに臨御し給うことができるという真理なのである。」
とマン女史は書いている。
“実相の世界”を知り、
“神の子”であることを
自覚することである。
(参考 信仰と愛行による新生 ステラ・テリル・マン 谷口雅春著 日本教文社)
【われわれは、如何にしてそのような“絶対の信”の境地に達することができるのであるか。われわれはあらゆる時代の“最善の心”の持主の最善の思想が盛られてあり千巻の書籍を通読することができる、かくて来りて其処に絶対多数者の結論として直面するものは、神は生命であり、愛であり、美であり~その神にわれわれは道交することが出来るのであり、神も亦われわれに臨御し給うことができるという真理なのである。或はまた、われわれはイエスが訓(おし)えたる如く、神の愛し児となることができるのである。そしてわれわれは神に護られ常に永遠に安全であるという事実を素直に信受するだけでよいのである。われわれの唯一の真の問題は、神がわれわれに与え給うた巨大なる力を如何にすれば使うことができるか。そしてその力を過って逆用して、自己を傷つけるようには使わないで利益を受けるように使うには如何にすべきかを学ぶことなのである。何故なら、その力には偏愛がないから、心の態度が間違っている者を敵味方の差別なく斬るところの“双刃(もろは)の剣(つるぎ)”の働きをするものだからである。】