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神を真剣に求めるようになった心の推移

2019-04-17 08:31:02 | 日記
私は以下のマン女史の文章を読んで、
私が青年時代に神経症になった理由が
「神に対する愛、隣人に対する愛及び自分自身に対する愛をもたないこと」が土台にある
自己神性の働きによる自己処罰だったのだと
気がつきました。
また以下の文章の例の婦人が真剣に神を希求するまでの過程が
心理的に私によく似ていると思いました。
(参考 信仰と愛行による新生 ステラ・テリル・マン 谷口雅春訳 日本教文社)
<神に対する愛、隣人に対する愛及び自分自身に対する愛をもたないから一生涯自分自身を傷つけて来たのです>
【老婦人はそれから語をついで、
「ある日、わたしは次の事実に目覚めたのでした。この病院はわたしのために建っている。それはわたしがみずから立つことが出来ないために存在するのではなく、わたし自身がみずから立つことを拒んだためにそれを救済せんがためにあるのである。それを支えているのはあなたが指摘なさいましたようにあの病院の経営に資を献げている人々の魂の中にある愛であった。わたしは、あなたがいわれた言葉を思いだしました~そうです。本当に私は神に対する愛、隣人に対する愛及び自分自身に対する愛をもたないから一生涯自分自身を傷つけて来たのです。わたしは今まで自分の人生に何をして来たか其の畏(おそろ)しい罪を償うために何かをしなければならない~それをするには、まだ遅すぎるということはないだろうと希望をもつようになりました」と彼女は言うのだった。
その希望がもっと善い人になろうとする念願なのである。それはまた信仰が目覚めて来た証拠なのである。彼女の魂は発達しはじめたのであった。】
私投稿者の場合は
教師をしていたのであったが
教師として生徒を愛せないということを辛く感じ
もっと生徒の心を分る教師になりたいと
本当に希求したのであった。
この気持ちはこの老婦人によく似ている。
(参考 信仰と愛行による新生 ステラ・テリル・マン 谷口雅春訳 日本教文社)
<“善人にならなければならない”という願いが強くなった>
【そんな訳で、彼女には、いたずらをして来た5歳の童子のように、人生のあらゆる面に処して恥かしさを感ずるような心の状態が続いたのであった。そして、それについて何か償いをしたいという願いが強く動いて来たのであった。彼女は病院に入院していた間に、彼女にアンが持って来てくれた“真理”を説明した書物を幾冊か読み始めたのだった。これによって彼女の信仰は増して来たし、“善人にならなければならない”という願いも強くなって来たのだった。ある日、彼女は涙を流してアンにお詫びをした、そして、善人に立ち帰りたいので助力をしてくれと頼んだ。】
<彼女に“愛”が目覚めて来て、魂が生長し拡大するための大なる絶好の機会も同時に訪れる>
【無論、それは彼女に“愛”が目覚めて来たのだった。愛が内に目覚め来るとき、その目覚めと共に魂が生長し拡大するための大なる絶好の機会をもたらすのが常である。それから暫くして彼女は退院した。退院すると直ぐ彼女は過去の過ちや他の人々に迷惑をかけた事に対して償いをするために働きはじめたのであった。彼女は“久遠の生命”の実在を直感できたこともあった。そして地上生活の後半生の一分一秒をも魂の発達のために使いたいと思うようになったのである。】