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大生命の河の流れを堰き止めているのを取り外す

2019-04-10 09:24:49 | 日記
いのちの河の流れを順調に流せば
実相があらわれる。
迷い心で堰き止めてしまうと、
病気やおもわしくない状態が現われる。
そのことをアディントンは
分り易く説明している。
(参考 奇蹟の時は今 J.E.アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
<暗い否定的な想念、抑圧された不快感情、及び仮相に過ぎない現象を真実在だと思い違えることが人を真理から逸らす>
【奇瑞現象という語は普通肉体の病的状態が癒されたことを表現する語ではあるけれども、同時に色々の種類の“欠乏”とか“不調和”が神癒によって好転した体験を表現するにも使われるのである。後者の如き体験をも“真理の実証”とか、“神癒の証し”とかわれわれが呼ぶのは、その事実の内には、その底に働き給う神の聖なる法則を眼のあたり見せられる思いがするからである。奇瑞の実証体験というものは暗い否定的な想念や、抑圧された不快感情や、及びその人の肉体、及び事件に神の聖なる生命の流れが還流するのを妨げていたと見えたところの仮相に過ぎない現象を真実在だと思い違えていたものが、それは本当は非実在だと認めることが出来るようになった時あらわれて来るものなのである。人は彼の住む人生のひとつひとつの領域に於いて真実在の実相の真理を素直に受けとることが出来るようになった時、真理はその人を自由ならしめるのである。】
<真理が現実世界をうるおすこの過程を、山から滔々と流れ降ってくる渓谷の水流に比較することができる>
【わたし達は真理が現実世界をうるおすこの過程を、山から滔々と流れ降ってくる渓谷の水流に比較することができるのである。この水は清冽であり、豊富であり、その水源は限りなく、それが涸れるということはないのである。渓谷の流れは悦びの曲を奏で乍ら下流へと降って行く。そして岩や弁当穀や紙屑等の残骸でその水流が堰き止められない限りはその流れは続くのである。やがて水流は抵抗にぶつかって逆流し始める、そして暫くの間殆ど前進しないかのように見える。】
<否定的な暗黒な想念、恐怖や怒りや嫉妬、人間関係の摩擦感情を棄てることで生命の流れが還流する>
【生命の流れに於いても、それと同じことが言えるのである。素晴らしい大生命の河の流れが吾々に流れ入っているのであって、吾々がこの大生命の流れを暗い想念をもって堰き止めない限りは、宇宙大生命が吾々になくてならぬ凡ゆるものとなって、絶えず吾々に流れ入り注ぎ入れられているのである。生命の河の流れを浄める事はわれわれが否定的な暗黒な想念を浄めて、自己の心の内から恐怖や怒りや嫉妬や今ある周囲の状態や人間関係に就いての摩擦ある感情を棄てることによって成就するのである。】
以上の文章から
人間の肉体の状態も環境の現状も
すべて「心」一つの問題であり、
「人間我」の心を「神我」の心に転換させれば、
神の子・神の国が顕われるということである。