現象は心の影であり、
時間・空間上に“いのち”(実相)が展開している一場面であるにすぎないのに、
なかなかそれを「ナイ」(非実在)だと
割り切れないのです。
現象に何かしら引っかかっている間は
実相世界がたった今ここに存在していると
思えないのです。
でも三正行を
特に実相の探求と神想観を間断なく実行しているうちに、
現象をナイものとして
あっさりと割り切って観ることができるようになってきます。
そうなると現象を引きずることが無くなってくるので、
それなら現象がないなら何があるのだ、
ということになり、
“いのち”があり、“実相”があり、“神の理念”のみが
見えないけれども存在していると
いうことになります。
これらは見えないし形がなく
つかめないです。
一言でいうと“神の子”です。
【物質の奥に、肉体の奥に、霊妙きわまりなく完全なる存在あり。】
これであります。
これこそ人間の本当の相である「生命の実相」であります。
「肉体なし現象なし心もなし実相あるのみ」であります。