土佐藩士の長男として、江戸で兵学を学び、
明治政府では要職に就いた板垣退助。
1882年の4月6日。
自由党総理として向かった、遊説先の岐阜県冨茂登村で斬りつけられ負傷。
「板垣死すとも自由は死せず」が自由民権運動の合言葉になりました。
人物的には良い人であったようで、民主主義の発展には大きく寄与したものの
清濁併せ呑む政治家としては、必ずしも向かないと言われていたようです。
ただ、後世にこうした言葉が残るのは、人物的な強さ、内面の強さなど感じますね。
この春休み中に感じたこと上がりまして、
???なんなの??君!!って思うことがありました。
総じて言うと「本気が見えない」というもとです。
気持ちがありますか?!
今やってることはやりたくてやってるんですか?どうなんですか?
責任持ってやれてますか?!
指摘をされなきゃ気づかないんですか?!
気付かされたのにふてくされるんですか?!
仲間のことをどう思ってるんですか?!
毎日あなたのためにご飯を用意したり、
交通費をくれたり、弁当を作ってくれたり、
弁当の素材を用意してくれたり、
お風呂を沸かしてくれたり、段取りが悪いことを指摘してくれたり、
過去の経験からアドバイスをしてくれたり、
そうした人たちがなんのために声をかけているのか?
どうしてそうするのか?
そうした人たちの気持ちがわかってるのかな~???
今何をしなければいけないのか?
できていないからの指摘であり、
期待値を込めて放っている言葉に喰らい付いてみろよ!!
板垣退助みたいな言葉を
生死をさまようかもしれないときに
発するくらい強い気持ちで
今やっていることを真剣にとらえてみろよ!
我々は若いうちから先輩にたたかれて育っています。
反骨精神旺盛でしたから「ふざけんじゃねよ」という
気持ちと「今に見ていろよ」という気持ちを持っていました。
今の若者は、骨がない。
骨のある若者に出会えていない。
すべて自分のまいた種です。
明治政府では要職に就いた板垣退助。
1882年の4月6日。
自由党総理として向かった、遊説先の岐阜県冨茂登村で斬りつけられ負傷。
「板垣死すとも自由は死せず」が自由民権運動の合言葉になりました。
人物的には良い人であったようで、民主主義の発展には大きく寄与したものの
清濁併せ呑む政治家としては、必ずしも向かないと言われていたようです。
ただ、後世にこうした言葉が残るのは、人物的な強さ、内面の強さなど感じますね。
この春休み中に感じたこと上がりまして、
???なんなの??君!!って思うことがありました。
総じて言うと「本気が見えない」というもとです。
気持ちがありますか?!
今やってることはやりたくてやってるんですか?どうなんですか?
責任持ってやれてますか?!
指摘をされなきゃ気づかないんですか?!
気付かされたのにふてくされるんですか?!
仲間のことをどう思ってるんですか?!
毎日あなたのためにご飯を用意したり、
交通費をくれたり、弁当を作ってくれたり、
弁当の素材を用意してくれたり、
お風呂を沸かしてくれたり、段取りが悪いことを指摘してくれたり、
過去の経験からアドバイスをしてくれたり、
そうした人たちがなんのために声をかけているのか?
どうしてそうするのか?
そうした人たちの気持ちがわかってるのかな~???
今何をしなければいけないのか?
できていないからの指摘であり、
期待値を込めて放っている言葉に喰らい付いてみろよ!!
板垣退助みたいな言葉を
生死をさまようかもしれないときに
発するくらい強い気持ちで
今やっていることを真剣にとらえてみろよ!
我々は若いうちから先輩にたたかれて育っています。
反骨精神旺盛でしたから「ふざけんじゃねよ」という
気持ちと「今に見ていろよ」という気持ちを持っていました。
今の若者は、骨がない。
骨のある若者に出会えていない。
すべて自分のまいた種です。