創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明のスキャンダル-23

2018-09-02 09:40:15 | Weblog

 <サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
     これでもあなたは信じますか   内藤国夫  (日新報道 1989/06)
    ------(P.142)---(以下、本文)-------

◆ 山崎 正友
     失脚は“闇の帝王”の宿命か
 三億円の恐喝、五億円の恐喝未遂事件で悪者イメージがすっかり定着した不幸な男。実際にはそんな悪人ではない。愛嬌のある、どことなくずっこけた、無防備なタイプに属する人間だ。
 謀略好みの池田に用いられることで、たしかに謀略の才能を発揮したのは事実である。ただ、学会顧問弁護士としての山崎正友は、組織の近代化、合理化、民主化を目指して様々な努力を重ねた。
 面従腹背を嫌い、池田に対しても、常にありのままの姿をさらけ出した。学会幹部の中では稀にしかいないホンネ派である。学会の組織を「木造の36階建てビル」にたとえ、グラグラ、フラフラしないように規則や会則の整備に取り組んだ。
                      ☆
 しかし、そういう努力を重ねると、結局はトップに君臨する池田の権力相対化を図ることにつながる。権力絶対化願望の権化である池田にとっては、これが気に入らない。だから、山友の近代化努力をことごとく潰しにかかる。
 池田大作名付けるところの“太陽の帝王”と“闇の帝王”とは、宗門問題がなくとも、いつかは抉を分つ宿命にあったといえる。
 その宗門問題。仕掛けたのは大作親分。法主以下の宗門僧侶を完全な支配下に収めてしまおう、と画策した。学会組織が出家と在家の両機能を合わせもつ理想的な形態だとするもので、“五十二年路線”と称された。
 池田はこの時、宗門側との連絡折衝役として山崎顧問弁護士や原島嵩教学部長、野崎勲、原田稔両副会長らを起用し、法主・日逹上人以下の宗門幹部僧侶を屈服させようとした。
 謀略家の一番大切な資質は、相手に好感をもたれることである。嫌われたのでは、仕事にならない。
                      ☆
 愛嬌のある山崎は、たちまち法主・日逹上人に気に入られ、大の仲良しとなった。何度も会って話をするうちに、山崎もまた法主を尊敬するようになった。池田会長に派遣され、法主を屈服させる秘めた目的を忘れたのである。“ミイラ取りがミイラになる”そのもの。
 教学部長の原島も、法主から日蓮正宗の法義を説かれ、学会、池田説法の間違いを悟った。
 “師匠が地獄に行くようなら、弟子も喜んで地獄についていく”との池田会長の教えは間違いで、“師匠が地獄に堕ちずに済むよう師匠の誤りを正すのが弟子の役割”であると気がついたわけだ。
 師匠役の池田の人選ミスである。山崎、原島両人は初めのうちこそ、池田のためにと考えて行動したのだが、やがて、師匠の間違いを確信し、正義や仏法の教えに忠実になろうと心に決めた。同じ折衝役を務めながら野崎、原田両人は心が動かされなかった。それだけ役目に忠実だったといえるし、あるいは逆に、法を説かれても、心を開くだけの純真さに欠けていたとの酷評も可能である。
 原島、山崎両人は職を賭して、師匠の池田に諫言を試みた。今にして思うのだが、この時、池田がこれに耳を傾けていれば、その後の学会の歩みはガラリと変わったはず。諫言を受け人れるような人ではなかったために、原島、山崎両側近幹部を切り捨て、池田は以後、両腕をもぎとられたも同然の迷走を始めたのである。

◆ 溝口 隆三
   学会青年部をダメにした“功労者”
 学会の奇人、変人のベスト3に入るのが、この人。
 池田に完全にホサれたにもかかわらず、反池田になりきれない男。大物風に見えて、実は小物タイプの典型。早稲田大学卆。学生時代の溝口の教学力は大変なもので、それを野崎勲が見つけて登用した。野崎コレクションの一人。
 溝口は、学会青年部をダメにした最も“功労”ある男であろう。男子部長時代、芸者と同棲したり、会合で北海道に行かなければならないのにさぼったり、ということをあっけらかんとやってのける。会合に出席しても「俺は、勤行なんか学生時代にやったことがない。いつもマージヤンばかりやっていた」と豪語したり、トルコ(今のソープランド)の話をしてみたりと、いつも脱線、ずっこけを得意とする。普通、男子部長というと真面目一徹のような感じだから、その意味で一般の男子部員の間での溝口人気は高かった。また、平気でそういうバンカラをいったり、やったりするので、一見、大物風に見えた。
                      ☆
 溝口が山崎正友から三億円の“バックペイ“として一千万円をもらったのも本当の話。池田にばれるや、慌てて山友に返した。しかも、池田に命じられて山友に電話をし、いかにも山友が恐喝をしているような会話に仕向けて、テープ録音。山友を陥れることまでした。大物風でありながら実は小物。池田にも完全に屈服した。
 溝口は昭和四十六年に第三文明社に入社して以来、今日に至るまで、本部勤務だった時代を除けばずっと同社に在籍している。今は編集局次長の肩書をもつ。第三文明社のレグルス文庫の創刊は溝口の功績とされる。
 池田に愛想を尽かされた今、溝口のただ一つの希望は池田亡き後、野崎コレクションの一人として復権を果たすことだった。が、その頼みの網の野崎が癌で倒れた。身の不運・不幸を嘆くのだが、もう、誰もかばってくれはしない。

◆ 神崎 武法
    熱烈な“隠れ創価”の出番はあるか
 「隠れ創価」という言葉がある。熱烈な池田崇拝者でありながら学会員であることを表向きひた隠しにし、社会の重要なポストにつくのを目指す。総体革命を目指す池田の隠し玉的存在になることだ。神崎武法は、そのような隠れ創価の最たる男だった。
 神崎は、東京地検の検事だった。しかも、ある司法関係者によれば「末は次官か検事総長か」といわれるエリートコースに乗っていたという。ところが、山崎正友裁判で同弁護士が、「宮本共産党委員長宅盗聴事件に現職検事の神崎武法が関与していた」と暴露に及んだ。そのために、検事を辞職。すぐさま福岡一区選出の公明党衆院議員となった。
 宮本邸盗聴というスキャンダルに現職の検事として関わつておきながら、そこにいられなくなると今度は国会議員になるというのは、世間の常識からはちよっと理解できない。
 しかし、逆に考えると、池田がいかに隠れ創価を大切にしているかが分かる。神崎にしても「いずれ法務大臣にしてやる」と約束されたとか。隠れ創価は法曹界の他にもマスコミ、公務員、大企業など、至る所にいる。だが、池田が最も大切にしているのは法曹界への進出である。
                      ☆
 池田自身が昭和三十二年に大阪参院補選の不正選挙がもとで、屈辱の逮捕を受けたことがある。
 そのせいか、池田は弁護士、検事になる若手の学会員を異常なまでに可愛がる。
 創価大学は創立二十年にならない新設大学だが、その割に法曹界に就職する学生が多い。同大学の司法試験志願者は、一切の学会活動は行なわず、ひたすら「先生を守るために」勉強をする。卒業式で、高松学長は必ず「今年の司法試験〇名合格」と、それがあたかも大学の誇りであるかのように発表する。そして、司法試験合格者は大学正面ロビー脇の銅板に名前を刻まれるのだ。神崎は、そのような隠れ創価の先頭を走っていた男である。
 神崎は千葉県出身。高校時代、県下でも一、二を争う秀才だった。法曹界を志望する学会員の集まりである法学委員会に入って、山崎正友と知りあった。在籍中、三年生の時に司法試験をパスしている。学会の学生部結成十周年の記念文集に、神崎が「いざ鎌倉の精神で」と題した一文を載せたことは有名だ。
 「池田先生は『いざ鎌倉というときには、自分が率先して学会を守り、学会を推進していくのだという幹部にならなければいけない。この心構えさえあれば、ふだんの行動に自然とにじみ込んでくるものである」と指導されている。我々はいざ鎌倉の精神で戦うことを決意しようではないか」
 さて「いざ鎌倉」の時がこれからあるのかどうか。あるとして、何をどうしょうというのだろうか。
  -----(148P)----つづく--
                          〈目次一覧は、本項第2回「H30/8/12」に登載〉

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 創価・公明のスキャンダル-22 | トップ | 創価・公明のスキャンダル-24 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事