--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
創価学会-池田大作をブッた斬る
藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
------P.179---(以下、本文)-------
創価学会-池田大作をブッた斬る
藤原弘達 1988=昭和63年 (日新報道/¥1,000)
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<エピロ一グ>
創価学会・公明党は、戦後日本民主主義の様々なる虚妄の中でも最も底辺社会に広がり、精神において低劣で醜悪極まる集団として、その第一に指名するに価しよう。それを一身に具現している人間が池田大作にほかならない。
創価学会・公明党は、戦後日本民主主義の様々なる虚妄の中でも最も底辺社会に広がり、精神において低劣で醜悪極まる集団として、その第一に指名するに価しよう。それを一身に具現している人間が池田大作にほかならない。
その低劣さと醜悪さが少なくとも常識をこえ、まさかと思うシロモノだったために、世間の判断を大きく誤らしめた、という表現すらできよう。政治と宗教の分離を謳う新憲法を逆手にとってむしろ一体化の私利私欲を追い続け、権力を使っての言論出版の自由侵犯を通じて、議会制民主主義のみならず、政党政治の構図を下から触んだ大犯罪の様相は余りにもひどい。
私は二十年以上も前から『創価学会を斬る』をはじめとする批判をやりだして以来、学会・公明党問題は私の仕事の周辺から一日も離れることがなかった。むろん、この二十何年という年月、私は学会・公明党ばかりに日本政治の問題を追ったわけでもなかった。にもかかわらず、私は彼らから瞬時も目を離すことができなかった。それほど、創価学会・公明党という存在は、取り扱い厄介きわまる、病毒細菌入りのビンか爆発物のようなものだった。その知能犯総元締をやってきたのが、池田大作という「同時代人」なのだ。言論出版妨害事件当時から、かえって悪辣でいよいよ危険なものへと変身していった。総ての批判をうけとめながら、これを吸収し、全く逆の方向にねじまげていく知能犯罪性でも№1といえる。
▼ 民主社会を蝕むハッ力ー
その池田大作を「絶対君主」のように神格化する「池田創価党」ともいうべき存在は、今の時点において一体何に譬うべきなのか。
単なる新興宗教でもない。いや、宗教とさえ呼べない、ともかくケッタイな集団である。日本国憲法の下において信教は自由なのであるから、その成り立ち、教義を云々するつもりはない。
日蓮正宗・大石寺派は江戸期以来、日蓮宗ー派としての歴史がある。創価学会は、日蓮正宗にとりつき、これを変質させて、今では本山・大石寺を実質支配している存在と私はみる。
その池田大作を「絶対君主」のように神格化する「池田創価党」ともいうべき存在は、今の時点において一体何に譬うべきなのか。
単なる新興宗教でもない。いや、宗教とさえ呼べない、ともかくケッタイな集団である。日本国憲法の下において信教は自由なのであるから、その成り立ち、教義を云々するつもりはない。
日蓮正宗・大石寺派は江戸期以来、日蓮宗ー派としての歴史がある。創価学会は、日蓮正宗にとりつき、これを変質させて、今では本山・大石寺を実質支配している存在と私はみる。
つまり、日蓮正宗を信者組織と経済力で乗っ取ったワケである。
牧口常三郎を始祖、戸田城聖を二代目、三代目を池田大作として以後は新興宗教でもなく、公明党の看板を出し(というより、公明党は創価学会のダミーとなった)厚顔にも政治に登場してきた。つまりは、創価学会という名の政治的秘密結社が宗教法人の隠れミノをきたといってよいのだ。
昭和前期の大不況時代に、貧乏寺・大石寺と創価<教育>学会が法華経を媒介として結びつく。戦後のことは知られすぎている。私は学会・公明党に、コンピュータの世界でいわれるハッカーを連想するのである。ハッ力ーは、パスワードを使って他人のプログラムに潜入し、勝手にそのシステムを利用し破壊する。
昭和前期の大不況時代に、貧乏寺・大石寺と創価<教育>学会が法華経を媒介として結びつく。戦後のことは知られすぎている。私は学会・公明党に、コンピュータの世界でいわれるハッカーを連想するのである。ハッ力ーは、パスワードを使って他人のプログラムに潜入し、勝手にそのシステムを利用し破壊する。
日本でも最近、キャッシュ・ディスペンサーのシステムで、他人の預金口座からカネを盗み取る犯罪が発生している。コンビュータ時代ならではの犯罪である。コンビュータ通信にも、プログラムを消してしまう、コンビュータ・ウィルスが問題になっているという。
創価学会・公明党は、戦後民主主義というプログラムに侵入し、その虚妄につけこみ、民主主義社会システムそのものの破壊者、つまりはハッカー的存在にまで変形した。学会・公明党がハッカーとしていかなる破壊を行なうかは、政教一体の宗教・政治活動の一事を指摘すれば、既に十分であろう。
ファシズム、ファシストが、いつも暴力的に、威圧的に立ち現われるとは限らない。「微笑のファシスト」だっているのだ。 創価学会・公明党は平和と民主主義を盛んに口にするが、その笑顔も、もはや醜く歪み、暗い邪悪の本性を隠しきれなくなった。街中を軍歌を騒音にして走り回る装甲車まがいのトラックに乗った連中ばかりがファシストだとみてはなるまい。
私が学会・公明党に新たなファシズムの予兆をみて危険を警告したのは、彼らが戦後政治や社会にあえて持ち込んだ「変形」の思想、人間を狐にしたり、力ブト虫にしたり、時に石かカベにかえてしまうような凶悪な精神の作動を覚えるためである。
私が学会・公明党に新たなファシズムの予兆をみて危険を警告したのは、彼らが戦後政治や社会にあえて持ち込んだ「変形」の思想、人間を狐にしたり、力ブト虫にしたり、時に石かカベにかえてしまうような凶悪な精神の作動を覚えるためである。
信仰の内面的自由はこれを侵してはならない、と憲法に明文化されている。創価学会が頂く日蓮正宗の教義に関しては、他の総ての宗教と同じように、これを信ずる自由がある。しかし、信仰の自由と外的強制力を背景とする政治とは、明確に区別されなければならない。それが、近代社会の大原則だ。この大原則が破られる時、言論の自由も信教の自由も合わせて死ぬ。
創価学会・公明党がハッカーとして民主主義社会において犯罪的であるのは、右の政教分離の大原則をふみにじり、民主的社会のシステムに内からの破壊をもたらすからである。
創価学会・公明党がハッカーとして民主主義社会において犯罪的であるのは、右の政教分離の大原則をふみにじり、民主的社会のシステムに内からの破壊をもたらすからである。
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