<サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
これでもあなたは信じますか 内藤国夫 (日新報道 1989/06)
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◆ 創大は“最後の砦”となり得るか
池田は、平成二年を、広宣流布達成の年にしょうとしている。来年は、学会創立六十周年、戸田前会長の三十三回忌、大石寺開創七百年であるとともに、自らの会長就任三十周年、池田にとって大きな節目の年である。この年に、連合政権を樹立し、日本の広宣流布を完結したと宣言、大石寺にある開かずの門を開き大石寺を本門寺と改称する、その上で博正へのバトンタツチを図る......。
そのためには、学会・公明党をはじめ、広く社会の各分野に池田の尖兵を配置する必要がある。
特に、池田の天下取りの“要”たる公明党に、藤原、大橋のような議員が存在することは許されない。
「公明党からは、最近、少々おかしな連中も出てきたが、それはそれである。創始者として党にかける期待はいささかも変わらない。(中略)今後、必ずや、この願いの通りに、絶対に民衆を裏切らない、本物の政治家が出てくることを私は信じたい」
七月の参院選に、福岡地方区から立候補する木庭健太郎は、創価大学一期生。そして次期衆院選にも、東祥三、石田祝稔など、創大出身者が次々と立候補する。木庭らは、池田の尖兵として池田の公明党支配を再構築するために国会に送りこまれる。そこには、国民の代表とか、選良とかの意識は極めて薄い。
既に創大の卒業生は二万人にのぼる。また、平成三年は開学二十周年に当たる。来年、日本の広宣流布を達成し、大石寺を本門寺と改称した後、池田は、唐沢照明の項でふれたように、八王子を“世界の総本部、世界の総本山”とする「八王子構想」の実現に全力を傾注するものとみられている。
四月九日付け「聖教」紙には、開学二十周年記念事業として、五千人収容の池田講堂の建設や、宿泊所・松風センター、理系校舎の新築などが麗々しく謳いあげられるとともに、これまでに、司法試験合格者四七名、上級公務員二〇名、外交官六名、外務省専門職二三名、公認会計士五七名などと、池田の構想を実現するために各分野に散っていった者の中で主要な資格試験の合格者数が、誇らしげに掲げられていた。
司法試験合格者の中には、五十八年に大分地裁の判事補でありながら女子高生を宿舎に引き入れていたため、社会的な問題となり、辞職せざるをえなかった一期生の千葉隆一もいる。千葉は裁判官辞職後、弁護士登録をし、現在は学会お抱え弁護士の一人として、対正信会裁判などを担当している。
これら主要資格試験合格者の他にも、一般の公務員や教員となっている者は、千単位に及ぶ。
創価大学はまさしく、池田にとって“最後の砦”に他ならない。
だが、その創価大にあっても、五十四年には、乙骨らが擅徒会を結成、創立者講演学習推進運動の教材である「二十一世紀の潮流」(現在は「創立者の語らい」と改称)掲載の池田発言が謗法であるとし、問題部分を削除させている。
また、打倒池田に立ちあがった藤原軍団の中には、藤原範昭や池田問題対策事務所の大須賀文夫のように、創価学園、大学出身者が多数連なっている。
池田にとって、創価大学が真に“最後の砦”たりうるかどうか。城久の死が池田構想の崩壊の第一歩であったように、創価大学もまた、池田構想の光と影の両方を反映している。
◆ 浅見 茂
池田のいうことならなんでもきく“ご配慮部長”
池田が幹部の人事を動かす場合、自分に対する忠誠度を第一の基本にすることは衆目の一致するところ。それでも少しは実力や人望が考慮されなければ、組織がガタガタになる。ところが、時として、とんでもない無内容で欠陥だらけの人物が登用されることがある。
学生部長、男子部長、青年郞長というエリートコースを経て、現在、総合青年部長の要職にある浅見茂は、その代表例である。前任者の太田昭宏が、東京八区の次期衆院候補に“左遷”されたにもかかわらず、現役中から男女青年部はもちろん婦人部にまで人気抜群だったのにひきかえ、浅見は「間違って男子部長になった男」と酷評される。さらに遡れば、彼の昇進のキッカケとなつた学生部の教育室長就任が、前任者・和田公雄の失踪事件直後の応急処置的フロック人事だったことにもよる。
野崎勲、溝ロ隆三、太田昭宏と続く代々の男子部長が、それぞれしっかりした個性と能力をもって一時代を画したのに比べて、浅見の能力と人望のなさは際立っている。会合での強圧的なもののいい方は、多くの青年部員から不評さくさく。体質的、かつ無条件に幹部を誉めそやすといわれる女子部にまで、バ力にされる始末である。
浅見ほど、揶揄を含んだ仇名を数多くもつ幹部は珍しい。曰く、話に内容がなく、盛り上がってもその場限りのため、“瞬間湯沸器”。また、中身のなさを評して“頭の中まで筋肉だ”。
あるいは「池田先生のご配慮で......」を頻発することから、“ご配慮男子部長”…。
そんな無内容・欠陷人間にでも現在の立場を維持できるのは、池田に対する奴隸的な忠誠ぶりと、なりふりかまわぬゴマスリによる。大橋敏雄が『文芸春秋』に手記を発表した直後にも、地元・九州の会合で「大橋はドブネズミ」と絶叫したりする。池田にかわって池田のいいたいことを代弁するスピー力ー役のチャンピオン。
池田は、自分で這い上がってくる有能な人材を時々間引きするように排除しては、こういったサイテー男を要職につけ自己保身を図ってきた。
それにしても、いわゆる池田側近幹部の最近の質の低下は目を覆うばかり。典型的なゴマスリ幹部として、長谷川重夫副会長と並び称される浅見の存在は、池田体制の将来の危うさを暗示しているのである。保身のつもりが、逆に身の破滅につながるとわからぬ男の喜劇の幕があがる。
-----(268+P)----つづく--
--目次一覧は、本項第2回<H30・8・12>に登載--
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