創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田の真実-38

2015-05-15 17:37:39 | Weblog

○池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道<¥1429-購入>
    誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
    曰本に君臨する男・池田大作の正体
    宗教界を冒浣する教団・組織の実態
    会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
 ────────────────改頁──────157──
◆政策転換の裏事情
 こうした政策転換が図られるカラクリがまた異常です。昭和六十三年、公然と池田に
反旗をひるがえした藤原行正氏は、長期にわたる公明党中央執行委員の経験をふま
えて、同党に対する池田の支配を次のように証言しています。
「たとえば対外的に公明党の重大な政策決定を発表するのは、前は竹入委員長、いま
は矢野委員長だが、竹入にしろ矢野にしろ池田の操り人形にすぎない。─中略─たと
えば自衛隊問題・原子力発電問題などには国民が各政党の対応ぶりに注目する。その
時に公明党だけ議論なしでスンナリ結論を出すのはまずかろう。外聞も悪い。逆にこ
れこそ政教分離を強くアピールする好機であるとばかりに党大会で一芝居うつことに
なったのである。
 党大会前日、大会準備委員長らが本部に集まり「活発な議論沸騰』を演出するため
の想定問答集が作成され、この作成段階では質問の一つひとつが吟味された。
『この質問は甘い。もう少し内容をきびしくしょう』
『じや、きつい調子につくり直すか』
『〇〇君がいいだろう』
 こんな調子で質問内容から答弁内容まで逐一検討し合って、党大会当日は運営委員
長が各議員に役割をふりあて、野次を飛ばすサクラまで会場内に配置する。本番では
議員連中がその台本どおりに議事を進行させていった。その光景を、新各社の政治
記者諸君が感心した。
「うん、最近は公明党もようやく議論するようになったな』
 各議員の演技はブン屋さんを一杯食わせるほど真に迫つていたというわけだが、党
内部ではとんだお笑い草だった」(『池田大作の素顔」)
 同様のことは、党大会の議長をつとめた大橋敏雄も証言しています。大橋は、予め
池田の指示によつて作られたシナリオをそのまま進める役割にすぎなかったと告白し
ています。
 まさしく喰飯ものです。また、これほど国民や報道関係者を愚弄する話はないで
しょう。
 内部告発によれば、公明党の路線は、理念や政策には関係なく、池田の自己保身の
ための動物的臭覚によつて無原則に転換を命じられるのが真相であるといいます。一
国の重大政策にかかわることでさえも、野次を飛ばすサクラまで用意して演出し、議
論を尽くしたかのように見せかけ、国民を欺いてきたのです。
 連合・連立問題も、この公明党のトリック体質をよく見極めてかからなければダメ
です。きれいごと、演技、陽動作戦で国民をだまし、その背後で、ひたすら池田の野
望の爪がとがれているのです。今日の自民党は、完全にこれにしてやられているので
す。
 さて竹入や矢野は、この百八十度の大幅政策転換をきめた党大会を前にして大平幹
事長に頻繁に電話をかけ「党大会で運動方針を変えます」「政策案を大平さんに見せ
ます」「大平さんを中心にやりたい」とアプローチを試みていました。
 昭和五十四年、池田が会長を辞任し名誉会長のポストにおさまった後の秋、自民党
内部には福田・大平の二人をめぐり「四十日抗争」という内紛が起きました。公明党
の願っていた自民党の分裂がおきたのです。むしろ、それまで竹入、矢野による大平
へのアプローチは自民党の分断を担ったものとも言えます。
 この四十日抗争の時に、二階堂進が、大平内閣に公明党議員二人の入閣を勧めまし
た。それは、二階堂が、「竹入君とはこれまでもいろんな問題を真剣に話し合つてきた
んですよ。大平首相時代に、私は竹入さんと大平さんとを会わせた。部分連合という
話が出てきたのは、実はそのころからなんです。それから五十四年の四十日抗争のあ
とで、入閣をもとめたこともあるんです。竹入君に」(『週刊朝日』S59.12.14)と証言しています。
 竹入は、この時のことを振り返って「今度そういうチャンスがあったら絶対に逃が
さない。連立であろうが、そう遠くない将来、必ず政権を奪ってみせる」(『週刊現
代』S56.11.5)と語っています。当時の新聞にも、公明・民社などの中道勢
力側から大平首相に閣僚の申込みがあった、と報じられています(『東京新聞」S59.9.4)。
 これは当時、池田大作が「宗門問題」等でピンチにおちいつていた時期で、そのた
め大平首相は創価学会問題を詳細に調査して危険な体質を察知し、この申し出を蹴っ
たのです。公明党の入閣は、あわやという時に避けられたのです。
 この年、池田の唱えた「七つの鐘」の終わる時であり、池田の日本乗っ取りの目標
を完成する時とされましたが、その野望はひとたびはついえさりました。
 ────────────────改頁──────161--つづく──

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