--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
・もし(将来)自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合…(池田創価公明と)自民党とで連立政権を組み、…自民党の右翼ファッシズム的要素と、公明党の宗教的ファナティックな要素の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制となるだろう!(創価学会を斬る・藤原弘達の警告・昭和44年)
・(平成10年から)小渕・小泉・阿倍らは池田に土下座し、自民党支持を依頼した!
・かくて今日までの20余年、アクセルとブレーキ同時の政教一体(国・地方共)自公連立政権となり、自民は勿論、(宗教テロ恐れる)野党・有識者・マスコミなど各界の沈黙が続く!
・宗教政党が、個人・家庭・社会・国の“絶対悪”であることは、古今東西の歴史である!
創価学会に未来はあるか! /昭和54年(=1979年)・日新報道出版部 共著・内藤国夫
--「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相--(目次は第2回に掲載)
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◆ 世間より池田大作が大事な学会
内藤 ぼくの場合は新聞記者ですから、あの事件以後も、創価学会・公明党に取材に行く機会があるわけなんですが、そうするとあの事件のなかで、かえって、いろんな関係者とのつながりが広がってきている。その人たちは「いま、我々は内藤さんに感謝している。藤原さんとは、ちょっと別だ」というわけです。
藤原 ほう、そりゃまたどうして?
内藤 「藤原さんは我々と敵対した。内藤さんは、慎重な態度で我々に対して臨んだ」「自分たちも、じつはいま反省しているんだ。ああいう事件があって、結果的にはよかったと思っている」と言って、いろいろ内部の情報を流してくれもする。具体的なことで言いますと、たとえば、政教分離されたために、公明党の議員は、深夜の折伏活動や座談会に行かなくてもすむようになった、ということですね。ずいぶんラクになったそうです。
藤原 そりゃ大きいよ。彼らだって、はたしてどこまで、本心から学会活動をしていたのか、疑問だからね。それが今度は一応政教分離だということで、法的にも社会的にも認められない、というタテマエがあるんだから、楽なはずだよ。
内藤 それだけでも「内藤さんや藤原さんに感謝している」と、本心かどうかは別にしても、あの事件で創価学会・公明党が大いに脱皮したと思っているんです。
藤原 ぼくは反対に、現在は計画的な後退であって、むしろ知能犯的性格が強くなっている、と見てるんだ。いちばん本質的なのは、ずるくなってきたということだ。表面的には、大人になったように見えるかも知れない。あの折伏という猛進主義、青年将校的ないし下士官的猪突猛進というのが、必ず報いられるという考え方が頓挫したということで、方向転換をはからざるをえなかったんだから。
ただあの本を書いた頃のぼくは、問題を国会に出し、池田大作を国会に引っぱり出そうという意欲に燃えていた。あれだけの迫害を受けたんだから、それだけにこちらも開き直っていたんだ。
彼らにとっては、おそらく一番怖かったのは、池田大作が国会に引っぱり出されることじゃなかったのかな。
内藤 なぜ恐かったと思いますか。
藤原 庭野日敬立正佼成会会長(昭和三十一年、衆院法務委員会)やロッキード事件やグラマン事件の例を見るまでもなく、国会に引っぱり出されて、衆人監視の中で、さんざん重箱の隅をほじるように突っつかれたら、宗教団体なんてものは、いくらでもボ口が出てくる。
内藤 それは言える。創価学会の幹部は、池田大作さんを、日蓮大聖人の生まれ変わりである、現代の生き仏である、としきりに演出していたわけでしよう。そうすると、その生き仏が、俗人である議員さんたちから追及され、場合によっては答弁できずに、しどろもどろで立往生してしまう。これは相当のイメージダウンになり、場合によっては創価学会の組織そのものに大きな傷がつきかねない。だから創価学会・公明党は、池田大作さんの国会喚問については、いつでも異常なほどの過剰防衛をするんだ、と思うんです。
例えば、竹入委員長の自衛隊認知発言(昭和五十三年二月)にしても、党の運動方針とまるで正反対のことが、党大会の初日に唐突に委員長の口から発言される。公明党の幹部はもとより、大会代議員さえかなり違和感を覚え、反論もあったはずの発言です。それなのに大会では、このことについて委員長が一方的に発言するのみで、いつの間にかウヤムヤにされ、発言内容だけはその後も生き続ける。
この発言の目的は、国とか国民を守るためというのではなく、創価学会の一般会員を守るためでさえもない。ただひたすら、池田会長一人を守るために、自民党に“貸し”をつくっておくのが目的である、と内部的には説明されているわけです。
昭和五十三年当時は、今でもそうですが、池田大作さんの国会喚問について、何も具体的な話が出ているわけではない。なのに、そういう万一の事態に備えて、その際には公明党だけでは防ぎきれないから、自民党を味方にしておくというネライ。神経質というより、病的なほど過敏な防衛措置なんですね。同じことが裁判への証人の問題についても言えます。
藤原 とにかく、徹底的に逃げるわけだ。池田大作の、ひたすら逃げるが勝ちという作戦なわけだ。
内藤 プライバシーや名誉を棄損された、として創価学会や池田大作さんが告訴する場合がある。そんな時でも、自分は絶対に裁判所に出頭して証人に立とうとしない。普通の人間とは違うんだ、といった間接的意思表示というか、姿勢が感じられるわけです。ところが今回は、宗門との和解を図るため、やむを得ず、という事情があったにしても、自分は生き仏じやない、ご本仏ではありません、と一生懸命弁解しているんだけど、これだって今までの言動から考えると、たんなるポーズにしか過ぎない。過去の言動の責任をとれ、との声が強いんです。
藤原 池田大作というのが、インチキ仏だった、という証明なんだよ。政教分離というのは、宗教は宗教、政治は政治と、はっきり区別することを天下に誓うことなんだ。国立戒壇の問題にしてもそうなんだ。
つまり、日蓮が言っているように、時の権力に諫争して、国家をいさめて折伏させる、といった使命感を持つよりも、宗教本来の姿に返る、ということであれば、日蓮正宗大石寺ではなく、独自の宗教であってもかまわない、ということだ。そういうことを考えたからこそ池田大作は、少なくとも創価学会という組織に独自性を持たせ、さらには自分をその組織の中の例外的な存在にしよう、と考えたんだと思う。
宮本顕治と会って創共十年協定を結んだのだって、政治の波と、共産党が宗教をアへン視する、という恐怖感が潜在的に彼の中にあった、とぼくは見ている。だからソ連に行って、ぬけぬけと十月革命は賛成ですなんて、常識では考えられないことを平気で言う。気が小さくて、弱虫で、それこそ平家のように水鳥の足音にさえビクツかなきゃあならないから、かえって表面は尊大で、偉ぶってその弱さをごまかさざるをえない。
ぼくは、本質的には池田大作というのは、小心で、気の弱い男じゃないかと思っているんだ。
だから、創価学会という身内の集まりで、自分の言うことだったらすべて盲信的に支持してくれるところにしか行かない。いろいろと演出して、虚像、虚飾の自分が通用するところにしか出られないんだ、と思っている。
----------(つづく)---------103