創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・公明のスキャンダル-5

2018-08-15 08:45:11 | Weblog

<サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
     これでもあなたは信じますか   内藤 国夫  (日新報道 1989/06)
    ------(P.30)---(以下、本文)-------

大久保 直彦……自らのスキャンダルと党内人事で袋小路
 いかにもカルーイ感じのするお坊ちゃん書記長を、矢野委員長の下で三年ほど務めた。竹下前首相にあやかろうというのか、銀座のバーを飲み歩いては「十年たったら大久保さん」と自ら歌ってはしゃいだりする。
 「十年」どころか、現在でさえ、泥をかぶる勇気に欠け、書記長のポストは荷が重たすぎる感じで、矢野退陣とともに、書記長ポストを失った。
 書記長として委員長を補佐する立場にあったが、実際は手足となって走り回るだけ。矢野前委員長からも「自分の後を継ぐ器ではない。書記長か、せいぜいが副委員長どまりの男」と冷やかに突き放されていたようだ。
 竹曲家の父の許で育ち、毛並みは悪くない。民音と深く関わり、趣味人としては相当なもの。
 学会の男子部長から、地方議会への寄り道をせず、そのまま国会議員に転じた。若手三羽烏の中ではNO.1的存在。党本部職員たちからは、書記長への早期昇格を大いに期待された時期もある。
 しかし、書記長擁立に動いた元秘書の寺谷光二 (現千葉県本部・部長)からまで「見損なった。ボンボンに見られがちだけど、実は保身ばかりを優先するオドオド人間。池田名誉会長に対しても面従腹背している」と酷評される始末。
 書記長時代、党内では市川雄一と張り合った。“矢野・市川体制”ができあがっているだけに、一旦は新委員長候補にあげられながら、肩書だけの副委員長に押し込められ、不利な状況。
                      ☆
 愛人バンク摘発で、顧客名簿に名を連ねたりするのはご愛嬌で済ませられるかもしれないが、問題は、金銭スキャンダルが意外に多いこと。
 「現代政治経済研究センター」の名称で金集めの政治団体を密かに設立。政治資金規正法により届け出られた金額だけでも、昭和61年度の場合、5226万円の収入をあげる稼ぎっぷり。自民党の政治家同様、「励ます会」を開いては企業にパーティ券を売りつける。その金銭処理をめぐって、内部で深刻な対立が生じた。
 第一秘書の南正博が63年1月11日付けで辞任し、代議士進出以来20年近く続いたコンビを解消した。生活費の面倒を見てもらう必要があって、南元秘書はまだ暴露戦術に出ていないが、もし内幕を洗いざらい喋ったら、大久保は副委員長どころか議員までを辞めざるを得ないだろうと、党内でもっばらの噂である。
 大久保は田代汚職事件発覚後、党内に設置された「倫理問題委員会」の委員長を兼務した。
 「腹心の南秘書に造反され、いつ金銭スキャンダルを暴露されるかわからず、内心ではビクビクしている男に、果たして倫理を説く資格があるのか」と同僚の議員や党職員から悪口をいわれる。もし公然と突きあげられたら返答に窮する苦しい状況から、いつ脱出できるのだろうか。
 もっとも「大久保ボンボンの強みは“力エルのツラに小便”的精神構造の持ち主であること」との評価があると付言しておこう。「何があっても、何をいわれても、シャーシャーとしている。相手にすること自体が馬鹿らしくなって諦めてしまう」というのである。

長田 武士……「女をよこせ」「金をよこせ」で意地汚い
 別名を「公明党の中西治雄」と称される。党の総務局長として台所に通じているせいである。金庫番的役割を果たすからでもあろう。
 ただし、中西と違って、下の人間に威張りちらす。いや、下の人間だけではない。自分よりはるかに先輩の松本忠助代議士に対し「オイ、こら、チュウスケ」と呼び捨てにしていたことは、党内で知る人ぞ知る。
 あるいは、有島重武代議士と銀座のバーの女性を張り合って、有島が先行すると見るや、「オイ、アリシマ、こっちによこせ」と息まいたというエピソードが党内で伝えられる。
 「オレのほうがオマエより偉いのだから、その可愛い女はオレのところによこせ」と命令したそうな。
 「よこせ」は、この万年総務局長さんのお得意のセリフである。
 「女をよこせ」というだけでなく、街頭募金で集めた金を「こっちによこせ」とピンハネまでするのだから始末が悪い。
 十六年ほど前のことで、残念ながら時効になり、刑事犯罪事件としては追及不可能とされる。
 しかし、いかにも公明党らしい事件であるため、ここにあえて暴露する。
                      ☆
 公明党は「寝たきり老人のために」と、福祉施設へのプレゼント資金を東京都内などの街頭募金で通行人に協力を呼びかけたことがある。三千万円余が集まり、手伝った学会青年部員らが集計中の党本部に長田が姿を現わした。
 「よく集まったな。委員長の命令だ。一千万円をこっちによこせ。貰っておくぞ」
 居合わせた人々が呆気にとられる中、募金額の三分の一が堂々と持ち去られた。街頭募金の責任者は、当時の党青年局長・大久保直彦。今でこそ副委員長に昇格し、長田総務局長を指揮、監督する立場にあるが、十六年前には長田の方が先輩だし格が上だった。大久保青年局長は、長田の個人的ピンハネであり、竹人委員長命令ではないことを知っており、青年部仲間の前で「ひどい奴だ」と憤慨してみせた。
 しかし、下の人間が上の人間を批判できない学会・公明党にあっては、こういう無茶苦茶のピンハネ事件があっても、「許せない。こんなことがまかり通っていいのか」と内部告発できないのである。
 「寝たきり老人のために使われる」と信じて投じられた庶民の善意の一千万円が長田によってどう使われたかは、未だに謎である。長田自身が党内で追求されたこともない。
 「“オイよこせ”総務局長」の職権乱用を咎め立てられない組織には、全く救いようがない。

美坂 房洋……池田の「抜擢」と「降格」人事の犠牲者
 「若手の三段飛び大抜擢」は、池田人事の特徴である。池田自らが32歳の若さで第三代会長に就任し、大きな力を発揮した。同じ理屈から優秀な活動家を早い段階で起用し、若いが故に力強くもあるエネルギーを組織活動に役立てる。若手抜擢には、もう一つの秘められた目的がある。
 若手を登用することで、先輩幹部を御用済みとばかりに窓際族に追いやっていくのである。
 多数の先輩幹部を飛び越して会長ポストを得た池田は、学会や党の若返り人事を繰り返して、次第に池田門下生で周辺を固めていった。
 「若手抜擢」は、しかし、さらにもう一つの特徴を兼ね備える。
 抜擢した後、今度は冷酷な降格人事を不意打ちしたりするのだ。
 28歳で聖教新聞編集総局長に大抜擢された美坂房洋を例にして、池田人事「上げたり降ろしたり」ぶりを検証してみょう。
                      ☆
 美坂は28歳の若さで聖教の編集総局長になるという異例の人事で、当時盛んにもてはやされた。その後、本部に異動し事務総局に配属、副総長の肩書をもった。しかし、後に関西に左遷。大阪府議に立候補して、今日に至っている。
 左遷の理由は、どうも金銭絡みらしい。美坂と原田稔が2人で建設関係の金銭的不正を働き、美坂だけが大阪に左遷された、というウワサが本部職員の間で飛び交った。
 美坂が28歳の若さで聖教の総局長になったのは、本当に異例の若手登用であった。美坂は確かに頭脳明晰だった。記憶力もずば抜けていて、総局長時代、美坂は全国の聖教の支局員の名前と顔を覚えていたという。このような当時の美坂の勢いからすれば、大阪府議に「転落」するなどとは夢にも思わなかったはずだ。もし公明党に行くなら衆議院議員、学会に残ってい
るなら副会長クラスであって然るべきである。また、聖教総局長として頭角を現わした美坂が本部事務総局に異動したのは、後輩の松岡資を総局長に引き上げるためであったことも確か。
 この時から美坂の事実上の左遷が始まった、と考えていいだろう。
 創価学会の人事一般にいえることは、早いうちに実力を発揮して頭角を現わした者はたいてい寂しい晩年を迎える、ということである。美坂などはその典型であろう。学会の“上げ下げ”人事は、世間一般の常識では考えることができないのである。
  -----(36P)----つづく--
                       〈目次一覧は、本項第2回「H30/8/12」に登載〉

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