創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-54

2018-08-10 07:26:34 | Weblog

<この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
      --言論出版妨害事件-- 昭和45年(1970年)
    ------(P.292)---(以下、本文)-------

創価学会・公明党は民主主義の敵てある
 では公明党はどうすればよいか。私は現実を敢えて無視するなら、公明党を解散して、むしろ民社党に合一し、第三勢力としての性格を明確にするのも一案だと考える。
 公明党が創価学会・日蓮正宗との関係をはっきりと断ち切り、完全な世俗勢力として性格を明確にし、中間政党、第三勢力の政党としての立場をとるならば、自民、社会、共産三党をのぞいた独自の立場をつくるために民社党と合体するのが望ましい。というのは公明党から日蓮正宗・創価学会的な宗教色をとるなら、公明党の政策は、民社党のかかげている諸政策と--「安保問題」にせよ「沖縛問題」にせよ--ほとんど違いがないからである。
 しかし、現実には民社党と公明党が一体化する可能性はない。ただ公明党が解散をし、そのもつところの大衆的なエネルギー、組織力をもって、「風呂の中で屁をひっている」という言葉に表現される民社党のバイタリティのなさ、パンチのきかなさというものをカバーするなら、日本に一種の第三勢力、中間政党として存在意義をもつ政治勢力が政党政治の中で機能することになる可能性もあるだろうということなのである。
                      ☆
 しかし、現在の段階では、民社党と公明党はその政策はほとんど同じでありながら、感情的反発はまことにはなはだしい。現実には民社党と競合して民社を抜き、社会党と競合して社会党に追いつき、ないしはその中間過程において自民党との連立をはかり、自民党との連立を通じてその実質的な権力体制とでもいえるものを強化し、そうすることを通じて政権をねらおうとしているところに創価学会・公明党の大きな野望があるといわなければならない。
 私は池田創価学会会長が出てくるときは、まさに公明党が自民党との連立体制の一角を占め、総理大臣への展望をもった何らかの大臣になれるというときに公明党委員長として乗り込んでくるのではないかという判断すらしている。衆議院に進出することはないと繰り返しいっておきながら衆議院に進出している前例からみるなら、創価学会会長・池田大作の、政党の委員長になるということはない、創価学会会長としてあくまでやる、といった発言は、あまりあてにならない。政権を担当しても日蓮正宗を国教にすることはないと述べているが、それもあてにならない。それほど状況即応的でオポチュ二スティックな行動をする集団なのである。
                      ☆
 日蓮のすばらしさ、彼等が御本尊として崇拝する日蓮のすばらしさは、鎌倉幕府という権力に対する抵抗にあった。しかし、現在の創価学会・公明党の姿勢に、権力に対する抵抗の姿勢が本当にあるだろうか。また権力に対する真に鋭い批判を展開しているといえるであろうか。
 さらには権力に対する批判を通じて国民大衆を本当にたくましくする方向にむかつているだろうか。私にはそうとは思えない。むしろ一部野心家たちの御本尊利用であり、学会組織利用であり、大衆利用であるにすぎないと考える。それ故に創価学会が危険であり、公明党が危険である、と断言するのである。日本の未来のために、この政党の存在に対して国民は厳しい批判をそそぎ、政党政治を正しいルールにのせるために、まず公明党の解散を要求すべきだと主張する。
                      (本文中敬称略)
       --------------------
   あとがき
 やっと私はこの本の校正を終えた。
 ほっとしているところである。ともかく、活字にする段階にまでこぎつげた。果たして、どれだけこの本が国民多くの人々に読んでもらえるか、また読んでもらえるような条件をつくりうるか、多くの疑問なしとしない。しかし、私はこの本をつくることによって、なにか若々しい、新らしい勇気が、モリモリわいてきている自分を感じている。
 大西郷御遺訓に、「正道を踏んで名もいらなければ、命もいらぬ人間ほど始末におえないものはない」という言葉がある。主観的な正道ではしかたないが、私は少なくともこの本をだすにあたって、創価学会・公明党のとった態度は、まこと不正義であると考えるものの一人である。私は自からの心を顧み、創価学会・公明党に対する私怨などはサラサラない。むしろこの十年来、私が加えてきたところの批判というものを創価学会・公明党がほとんど吸収していないということを悲しむものの一人なのである。
 しかし、この“創価学会を斬る”は多くの苦難を乗り越えていまや世にでようとしている。
 まさに感慨無量である。この本がより多くの人に読まれ、なんらかのこれに対する批判が次々と現われてくることを強く望んでやまない。
 ともかく頑張らなくてはならない。
   一九六九年十月                        著者しるす
       ---------------おわり

次回から、<サイコパス・池田の“人脈・金脈・性脈”>
創価学会・公明党--スキャンダル・ウォッチング
   これでもあなたは信じますか   内藤国夫 (日新報道 1989/06 )
‥‥です(約1カ月)。 期待して下さい。(^_^ )

 尚、“藤原弘達と創価学会”は、夏休みです。

コメント
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