創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価を斬る・41年目の検証-75

2017-03-21 08:37:11 | Weblog

藤原弘達・創価学会を斬る 41年目の検証 言論出版の自由を守る会編
                 (日新報道 2012/2)
    ------(361)---(以下本文)-------

◆ 捏造された新潮社社長の「遺憾表明」
 その門脇護をなぜ創価学会は、そこまで憎悪の対象にするのか。
「やはり、彼が手がけた30本近い池田レイプ関連記事を1本も訴えられなかった恨みが、いまだに続いているんでしょう。やれ“人間の皮を被った鬼畜”だ、やれ“捏造記者”だ、やれ“デツチ上げ”だと、それそのものが名誉毀損になるような口汚い罵倒を門脇に対して公刊物を通じて続けているサマは、その憎悪がいかに深いかを物語っています。
 今も真実は一つ。私が池田にレイプされた詳細は、いつどこへ出ても証言しますと揺るぎない姿勢を続けている信平信子さんの態度と相まって、創価学会にとって今も尚、この問題が最大のタブーであることに変わりはないのです。いずれにせよ、この手記が今も語り草になる大スクープであると同時に、今後も池田の絶対的地位を脅かす爆弾であることは確かです」(学会ウォッチヤー)

 ある元創価学会員はこういう。
「創価学会が週刊新潮の池田レイプ記事を訴えることはできるはずがありませんでした。そもそも週刊新潮に掲載された信平さんの迫真の告白は、誰が読んでも、それが被害を受けた女性でなければ語れない秘密の暴露に満ちたものでしたし、女性としての苦しみや池田の卑劣さを、冷静に記述した内容は、多くの女性の共感と同情を呼び起こしたものです。
 しかし、司法支配を強めている創価学会は、彼女の証言が法廷に出ることのないように、池田レイプ訴訟でやっとのことでこれを封じ込めることに成功した。しかし、新たに週刊新潮とコトを構え、もし信平さんに証人として出廷されたら、せっかく薄氷の思いで信平証言を封じた苦労が水の泡になってしまう。だから、創価学会は週刊新潮を訴えることをしなかったのだと思います」

 この門脇に対して、創価学会は埼玉県下で創価学会の壮年部長を務める元読売新聞記者に『言論のテロリズム」「言論のテロリズム②」を書かせて大批判を展開させたものの、その中で登場する信平さんの告白テープとやらを逆に改竄していたことを週刊新潮に暴露されている。創価学会側のこれらの記事や本は、ただの一度も信平さんに直接取材することもなく書かれたお粗末なものだった。
 そんなシロモノで、一出版社の社員を延々と攻撃し続けているのだから、この日本最大の宗教団体の異常性とレベルの低さは推して知るべし、である。
 だが、攻撃の手を緩めない創価学会は、平成16年3月28日、聖教新聞が、新潮社社長が池田レイプ事件の一連の報道に対して、「遺憾の意を表明した」という記事を大々的に掲載した。
 しかし、この内容は実は全くの虚偽。週刊新潮は、即座に翌週号〈四月八日号〉で、〈創価学会が「捏造」した新潮社社長「遺憾表明記事」〉という特集記事を掲載して、この聖教新聞記事が、いかに捏造されたものであるかを詳報している。

 報道からすでに8年が経過しながら、いまだにこの池田レイプ記事を攻撃してやまない創価学会。そのためには、新潮社社長が「遺憾表明」をしたという虚偽の事実を公表してまで、学会員にこれを信じ込ませようというのである。
 学会ウォッチャー(前出)によると、
「性懲りもなく最近も、インターネットでジャーナリストを自称する創価学会員の手によって、門脇批判が展開されています。捏造記者の墓碑銘などと、目を背けたくなるような下品で愚劣な内容です。読めば、書いている人間の品性がよくわかりますよ。ここまで自分で自分を貶める宗教団体が現に存在している事実を、国民はどう思うでしょうか」

口汚い攻擎は宗教上の教え?
 三類の強敵という言葉をご存知だろうか。
 釈迦の没後、法華経を修行する者に怨を抱き、迫害する3種類の敵を表した言葉だ。一般民衆、宗教者、権力者の中にそれぞれ迫害する勢力が出てくるというものだが、法華経には、基本的に正しい教えを実践しょうとすると必ず「魔」の働きが起こるという考え方がある。
 池田大作の口癖でもある「仏法は、仏と魔との戦いである」というのは、この考え方に基づくものだ。
  つまり、創価学会は、常に自分たちに都合の悪い存在は、敵(魔)であるとし、それを徹底的にたたくことを信心の糧(エネルギー)にしているのである。創価学会の異常な攻撃性は、まさに、この教えに基づくものなのだ。その考え方に洗脳された学会員たちには、上から(つまり池田から)「魔」であると判断された人間は、人間でも何でもなく、人権も何もない畜生以下の存在にされてしまうのである。
 大の大人でありながら、上から教えられれば、そんなことを簡単に信じ込んでしまう学会員たちの中に、ジャーナリストを自称し、その攻撃の一端を嬉々として担っている人間もいる。その有り様は、恐ろしさを通り越して滑稽でもあり、哀れでもある。
「創価学会のこの異常性が続く限り、まともなジャーナリストたちの監視は続くでしょう。こういう理不尽な攻撃は、逆にジャーナリストたちのやる気とフアイトを奮い立たせますからね。教育基本法や憲法問題など、大新聞の記者たちもようやく公明・創価学会がいかに民主主義の敵であるかを認識し始めている。この常軌を逸した学会ウォッチャーたちへの創価学会の攻撃は、何よりも言論の自由や民主主義にとって、いかに脅威であるかを雄弁に物語っていますからね」(ある政治評論家)
 愚かな報道で常に馬脚をあらわす創価学会は、日に日にその敵を増やし続けているのである。
                                  (文中・一部敬称略)
       ---------(364P)-------つづく--

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