創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価を斬る・41年目の検証-69

2017-03-15 07:46:50 | Weblog

藤原弘達・創価学会を斬る 41年目の検証 言論出版の自由を守る会編
                 (日新報道 2012/2)
    ------(320)---(-2行より、以下本文)-------

⑥「池田発言」に見る政教一致--本部幹部会発言が示す支配構造/乙骨正生
 昭和45年5月3日に東京・両国の日大講堂で行われた創価学会の第33回本部総会の席上、池田大作会長(当時)は、創価学会と公明党の政教分離を宣言した。この政教分離宣言は、創価学会・公明党が引き起こした言論出版妨害事件に対する厳しい社会的批判を背景になされたものであり、池田会長自身、政教分離宣言の冒頭で、「今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきました」として、創価学会と公明党の政教分離が言論出版妨害事件を契機とするものであることを自認している。
 だが、平成15年現在、「聖教新聞」に連載中の「新・人間革命」では、創価学会と公明党の政教分離は言論出版妨害事件とは関係なく、創価学会の組織的発展に基づく機構改革の一環としてなされたものと主張している。
 すでに、政教分離宣言から三三年が経過し、政教分離宣言の記憶は希薄なものとなってきている。
 そうした事件の風化を幸いとして、池田は創価学会と公明党の政教分離について、歴史改竄を図つているものと思われる。
 そこで、言論出版妨害事件を契機としてなされた政教分離とはいかなるものだったのか。そして社会的公約である政教分離は履行されたのかどうかを測る一つのサンプルとして、昭和45年5月3日の池田氏の政教分離宣言と、政教分離を宣言した当の池田氏の東京都議会議員選挙と衆議院総選挙のあった平成5年1月と7月の本部幹部会での発言の抜粋を紹介する〔()内は編集部注〕。

○ 昭和45年5月3日・創価学会第三三回本部総会での池田会長講演(政教分離宣言)要旨
「今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきましたが、ここに将来のためにも、はっきりさせておかねばならないのは、創価学会と公明党の関係であります。
 私としては、公明党結成のことを発表した昭和39年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の出発をめざしておきました」
「もとより、公明党誕生の母体は、創価学会であることは間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでもそれに依存するようなことがあっては、党の健全な発展はない。たとえていえば、賢明な母は、子がひとり立ちできることを願うものであります。
 いつまでも自己の支配下におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
 いままでは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあるとみられてもやむをえなかった。
 それにしても、われわれは、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさつてくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
 われわれは、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのもとうぜんの理でありましょう。
 そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん、理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向かって将来も進むことはとうぜんであります。これは、特に党幹部からの強い要望もあり、学会でもとうぜんのこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成をいただきたいのであります。
 今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。具体的には、議員で、学会の役職を兼任している場合、党の仕事に専念していただくために、学会の役職は段階的にはずす方向にしていきたい」
「また、学会は、公明党の支持団体ということになります。とうぜん学会員の個人個人の政党支持は、従来通り自由であります。学会は日蓮大聖人の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党支持については、会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません」
「また、選挙にさいしても、公明党は党組織を思いきって確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行っていただきたい。むろん、創価学会も支持団体として従来どおり地域ごとの応援はとうぜんしていきたい。党員についても、学会の内外を問わず、幅広く募って、確固たる基盤をつくっていただきたいと、公明党に要望したい。また、党がひとり立ちしたことに対し、皆さん方もあたたかく見守っていただき、応援もしていただきたいのであります。
 以上のように、釗価学会と公明党を分離していくことを提案いたしますが、賛成の方は挙手ねがいます」

 ※もともと創価学会と公明党は宗教団体と政治団体であり政教分離をめざしていたと、言い訳じみた弁解をしているが、宣言では制度の上で明確に分離することを公約。また、学会員の政党支持の自由についても、「会員の自由意思にまかせ、まったく干渉するものではありません」と、明確に政党支持の自由を約束している。だが、実際には池田氏が先頭に立ち、学会員を宗教活動に名を借りた選挙活動に動員、使役していることを、以下掲載の平成5年の池田発言は示している。

●平成5年1月27日本部幹部会での池田発言(北九州市議選、東京都議選を控えて)
「創友会(創価大学OB・OG会)大勝利万歳と……めんどうくせえからよ。それから九州、どこだったっけかな、北九州。茨城、大阪、倉敷、全部。ね、大勝利万歳。
(司会)それでは都議選大勝利、北九州市議選大勝利、茨城大勝利、大阪大勝利、倉敷大勝利、全て連続勝利を析念しまして創価学会万歳をします。創価学会バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ。
 連続勝利って言ったってね、千葉負けたじやねえかよ。連続じゃねえじゃないか。特に目黒と渋谷。ね。一遍だけ万歳言おう。
 これはね、あんな奴落ちた方がいいと思ってもいいけど、だけど菩薩行だからよ、慈悲行だから、かわいそうだから、当選させてあげようじやないかってよ。上手にやんの」
「あの、特に、あれだね。今、あの、車の中でさ、目黒区? 一番大変な都議選の、大変なところ。東野秀平か? 今度は。秀平、あの秀平じれったいから。ね。どうなる、今度は。当選しちゃうの? だからね、あの、かわいそうだからよ。どうせ立てる人だったらね、どうせやるんだつたら、当選させてやろうよ(大拍手)」
「荒川のなに? 鈴木カンタ、鈴木貫太郎、元総理大臣? そりや、当選させてやろうよ(大拍手)。鈴木さんの次の総理大臣だろ、そりや~勝ってあげようよ。二人区だろ、今度は。三人区から二人区になるなんて、福運がないか(笑い)。
 貫太郎って名前だけは付けない方がいいよ。
 で、小平、北多摩四区。うん、北多摩シク、それで永沢豊晶? 四十七歳。定数三から二、うン。どうなんだ、なんだ、スチュワーデスのご主人じゃねーかよ」
「それから新宿、これは藤井富雄、ね。これは最高点な、最高点で当選になったら、藤井富雄は長谷川ー夫つってんだよな、(笑い)。それから中野の橋本辰次郎。なんだか、あれだな、自民党かどっかの議員だよ。五十二歳。お前もね、優しくした方がいいんだよ、みんなに。絶対に叱りつけちやいけないよ。言葉使いを丁寧に。礼儀正しく、やってごらんよ」

 ※北九州市議選、東京都議会議員選挙等の勝利を祈念して万歳をするとともに、6月実施の東京都議会議員選挙に立候補する候補の名前を挙げて当選を指示したり、候補をからかう池田氏。
 ここには政教分離宣言に見られる「母離れ、子離れ」の姿勢は微塵も見られず、むしろ竹入義勝元公明党委員長が平成10年8月~9月にかけて「朝日新聞」に連載した「政界回顧録」で指摘した創価学会と公明党の関係は従属・支配の「一方的放射線関係」という記述を裏付けるものとなっている。

平成5年7月7日本部幹部会での池田発言(衆院選を控えて)
「大したのいないかもしれないけどね、だけどよく監視しながら応援してもらって。お、ゴーゴーでさ。55だから、ゴーゴー、ゴーゴー、全員大勝利と、こういうことで行きましょう。もう淡々とね、余裕で、大したことないよ。『大激戦楽しく勝ちゆけ面白く日本全土をあっと言わせろ』だよ。楽しくやるの。私は世界なんです。世界新党ですから」
「広島一区の斎藤鉄夫。これ宇宙博士。たいへんな有名なんです。日本的に世界的に有名な博士なんです。本当は衆議院なんかもったいなかったな。あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ。大丈夫、広島一区」
「三重一区。おっこった奴さ。桂三枝。あっ坂口カっていったな。医学博士。桂三枝、桂三枝と呼んでやんなくちやいけない。そういえば当選すんだよ。んなね、坂口、逆さまの口書いてさ。よせよ、これからいい名前の人を選ほう」
「宮城一区のバチ(千葉)国男。なんだ、バチ国男。袖が重いんだよ。千葉が重いんだから仕方がない。ナに、不正退治の桃太郎、そんな顔してないじやないか。自分を退治した方がいいんじゃないか」
「東京よ。布施博よ。布施博よ、俳優の。似てるのよ。魚住祐ー郎、長いよ、これまた。東京四苦八苦ってね。いつもそれこそ落ちてんだよ。大久保の奴よ。書記長。だらしない書記長で落っこってんだ。女房が全然人気なくて。あいつはおっちょこちよいなんだから。第七位だってんだから、書記長でしょうがねえ。そこに立った魚住かわいそうだよ。(創価)学園、東大、弁護士でね。布施博と書いてもいいようにさ。渋谷、中野、杉並全然燃えないの。火事の後みたい」
「埼玉ー区の福留たびや。福留泰蔵。難しい字だな。福留、福を止めるの。もう少しいい名前をね。池田大作あたりいいかな」
「神奈川一区。上田勇。これ知らないな、あまり。農水省? ノウスイしょう、ナにヨ? 病院いった方がいいよ。衆議院という病院にいった方がいいよ」
「大阪6区の佐藤きげし?。しげき(茂樹)だ。刺激を与えればこれは勝てるんでしょ、ね」
「高知。石田のりと。のりと、神道みたいだな。あっ、のりとし(祝稔)か。石田、創大(創価大学)、そう、大丈夫」

※平成5年7月実施の衆院選に公明党は55人の候補を立てた。それを受けて「お、ゴー、ゴー、ゴー、ゴー」とはしゃぎながら「大勝利」を厳命する池田氏。それにしても広島一区から立候補した斎藤鉄夫氏について「あすこ原爆がおっこったからね。博士がいいだろってさ」とか、上田勇候補が農水省出身であることから農水省を脳水症と言って、病院に行った方がいいとからかう。また、坂口現厚生労働大臣をはじめ、候補の名前をおちょくる池田氏の神経は普通のものとは思われない。
 いずれにせよ、これらの池田発言は、昭和45年5月3日に池田氏自身が社会に公約した政教分離や学会員の政党支持の自由の約束が、いかに虚しいものであるかを浮き彫りにしている。
 そして、こうした学会員を選挙活動に駆り立てる発言、会合は、宗教施設として非課税という税法上の優遇措置を受けている創価学会の会館で行われているのである。
 ちなみにこの平成5年の衆院総選挙で、池田氏の激励を受けた公明党候補は55人中53人が当選。自民党が過半数を割ったことから、公明党は自民党を割った小沢一郎氏らとともに細川護熙氏を首班とする非自民連立政権を発足させ、公明党から4人の閣僚が誕生した。この細川政権発足の前日である8月8日に行われた本部幹部会の席上、池田氏が、翌日入閣する公明党の閣僚ポストを発表し、「デェジン・デェジン」と大喜び。あわせて「デェジンは皆さんの部下」と発言したことはマスコミ既報のとおり。
       ---------(333P)-------つづく--

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