ドイツ日記 Les plaisirs et les jours

ドイツに滞在して26年経過。2年後に日本へ本帰国予定。ゴルフを始めて4年半ですが相変わらず下手な初心者ゴルファーです。

あれから25年

2005年12月09日 | 音楽・アート
Lennon Legend: The Very Best Of John Lennon
John Lennon
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またやって来ましたね、ジョン・レノンの命日が。

25年前の今日乃木坂にある仕事場から渋谷経由井の頭線に乗って当時住んでいた三鷹台のアパートに帰宅の途中だった。車内の向かいに座っている人が読んでいた夕刊フジだか日刊ゲンダイだかの一面に「ジョン・レノン射殺」の大見出しがあって私はショックで茫然自失状態。

小学校の6年生のときだったか、週刊誌にのっていた写真を示して父親が「イギリスじゃこんなのが流行っているらしいよ。」と教えてくれたのが始まりだった。あまり好きではなかった父親ではあったが、この1点については感謝しているw。それ以来私の青春はビートルズと共にあったというわけだ。もちろん、彼らだけを聞いていたわけではないけれど。何しろ当時はグループサウンズの全盛期でエド・サリバンショー以外にもローリング・ストーンズなんかが出るテレビ番組もあったと記憶している。いろんな海外の音楽番組があって恵まれていたなあ・・。

25年前のレノン射殺事件後の年末私はハワイでゆっくり本でも読むか・・ま、当時年末ひとりでいなくちゃいけない事情があったのだが・・と本を数冊スーツケースに入れて飛行機に乗ったのだけど、その行きのフライトで隣に座っていた広告業界で働く同年代3人組の男性たちと意気投合し、約2週間近くの滞在中ずっと一緒に行動していて読書どころじゃなく楽しい休日を満喫したのだった。フライトとキッチン付きホテルだけ決まっていてあとすべて自由というパックだったので、我々4人は早速レンタカーを借りてあちこちと遊び周り朝晩は一緒に自炊して・・といっても自炊は彼らが3人の部屋でやってくれたので私は用意が出来た頃に食べにいくという超ラッキーな役回りだった。

で、レノンの死が信じられない私達は、ハワイの新聞を見つつ「あれは嘘だった。ガセネタだった。」という記事が出ないかと思ったりしたのだった。

男性3人組とは旅行の後もボチボチとコンタクトがあり翌年六本木に出来たビートルズのコピーバンドがライブをやるキャヴァーンクラブへ連れてってくれた。それ以来このキャヴァ-ンクラブが私の遊び場所となり大体週のうち2,3回はそこに通ったものだった。

レノンが殺された翌年長年住み慣れた吉祥寺界隈を離れて等々力に引っ越した私は、仕事から帰ると原付きバイクに乗って目黒通りを突っ走り六本木に通ったのだ。おまけに当時はドイツ語学校に通いつつ日本語教師養成講座も取っていたし、それで週2,3回は深夜過ぎまで夜遊びという・・いや~~タフだったのね。今じゃとても出来ませんわ。

そんなわけで、ジョン・レノンの死というと80年のハワイ旅行、六本木のキャヴァ-ンクラブを思い出してしまうのだ。あの頃のコピーバンドの名前は忘れたけどメンバーの呼び名は覚えている・・チャック・近藤さん、げんちゃん、ひろし君そしてリンゴさん。皆今はどうしているんでしょう。

ア~そう言えば3人組の1人は数年前に「知ったかブッッタ」の漫画を出して一時話題になっていたけれどその後どうしているのかしら?


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2 コメント

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もう (sari)
2005-12-11 05:43:40
25年になるんですね~、ビートルズが流行り始めた中学生時代、はまってしまった同級の男子がいて、おばさん頭をかかえてましたっけ。

その後はグループサウンズ全盛でしたね~



私はある大学の言語学研究所というところで、同じ時間帯だったので日本語教師養成講座にしようかインドネシア語講座にするかずいぶん悩んだのですが(もうすでに2つの学校で初級は済んでいたのですが)やはりまた最初からやったほうが、おバカな私にはいいだろうと日本語講師のほうをあきらめてしまいました。今から考えればそちらにしたほうがまた違った実りある人生だったかとも思います。



「知ったかブッタ」おもしろいですね。ちょっとくどいけど私、高校が仏教系だったので
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知ってました? (ジャンヌ)
2005-12-11 05:56:44
sariさん、「知ったかブッタ」のこと?彼はハワイに滞在中もずっとイラスト入りの滞在日記見たいのを描いていたんですよ。あれから25年。またあのときの3人組に会って同窓会してみたいです。
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