(2020-08-20) 「02 わたしは、わたしの僕シドニー・リグドンの手によって、あなたにわたしの手を置こう。そうすれば、あなたは、わたしの御霊、聖霊、すなわち慰め主を受けるであろう。その慰め主は、王国にかかわる平和をもたらす事柄をあなたに教えるであろう。
」36章
この”受ける”というのは、教会員での確認の儀式や聖任の時に使われる言葉なんでしょうね。
やはり、理想的にはモルモン書に最大限の注意を払い、回復の天使、そして主にまみえたモロナイが記した字義通り、”共にありますように”とすべきなんでしょうね・・・
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「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(第2テモテ3:16、新共同訳). 聖書は人に知恵を与え、信仰による救いを・・・
」
聖書 有益 https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%81%96%E6%9B%B8%20%E6%9C%89%E7%9B%8A&ei=UTF-8
読む者にも、同様霊感が働いて、聖句のある部分が印象付けられたりといった聖霊の賜物が働くんでしょうね。
これら聖句にも通じるというものでぇぇ・・・
「そして父リーハイは、自分の心に感じるままに、また自分の内にある主の御霊に従って、自分の家のすべての者に語った後、年老いて、死んで葬られた」
2ニーファイ4:12
「このようにして、主なる神は道を備えて、残りの人々もキリストを信じる信仰を持ち、聖霊がその力によって彼らの心の中に宿られるようにされるのである。このような方法で、御父は人の子らに立てられた聖約を果たされる。
」モロナイ7:32
やはり、蓋し、聖餐の祈り、現行の(1996年来の菊地氏改訳)“御霊を受けられるように”のところは、それ以前の故佐藤龍猪訳にあったよう英語原文に忠実に、"御霊が共にましますように”("may always have his Spirit to be with them", "may have his Spirit to be with them")の訳にすべきでしょう。毎回、毎回、“受けられるように”では、本来の“共におられる”であろう御霊に失礼というもので主に喜ばれない信仰の欠落となりましょうかぁ。“ともにましますように”と祈ることで、各自、信仰や自信は深まり聖霊は宿り、霊感を受けやすくなっては、喜びも増し、教会に加わる人も増えていくんでしょう。
とまぁ、たまWEB的には重大事と思えるわけなんだが・・・そのへん指導者の御仁たち気づいてもらってぇぇ?!失格?!霊感なし??
東京ステークチャンネル
“「私たちは最近、ジョセフとその同僚たちが既存するアダム・クラーク(Adam Clark)の聖書解説本を使ってジョセフ・スミス訳聖書を制作したとの結論に至った。アダムはメソジストの牧師であり、彼の解説本はアメリカで多くの人に読まれていた。 リサーチの結果、スミスの翻訳とクラークの解説本には、多くの類似点があることが判明した。とても偶然とは思えない。 類似点は何百にものぼり、ここには書ききれない程だ。”
https://ameblo.jp/exmormon/entry-12615147817.html
そのアダム・クラーク本に創世記14章では、どんなふうになってるんかな??
「第14章
(メルキゼデクの大いなる務めについて述べられる。メルキゼデク神権の権威と祝福が説明される。)
19 メルキゼデクは声を上げて、アブラムを祝福した。
xx さて、メルキゼデクは信仰の人であり、義を行った。子供のころ、彼は神を畏れ、ライオンの口を封じ、猛火を鎮めた。
xx こうして彼は神から認められ、神がエノクと交わされた聖約の位に従う大祭司に聖任された。
xx それは、神の御子の位に従うものであり、その位は人によらず、人の意志によらずに与えられたもので、父も母もなく、日の初めも年の終わりもない。それは神から来たものであった。
xx それは、神御自身の声の召しにより、神御自身の御心に従って、人々に、すなわち神の名を信じるすべての人に与えられた。
xx 神御自身がエノクと彼の子孫に固く誓っておられたからである。この位と召しに従って聖任された人は皆、信仰により、山々を崩し、海を分け、水を干上がらせ、その流れを変える力を持つであろう。
xx また、もろもろの国の軍勢をものともせず、地を分け、あらゆる縄目を解き、神の前に立ち、神の御心と命令のとおりにすべてのことを行い、支配と権威を服従させる力を持つであろう。これは創世の前からおられた神の御子の御心によるのである。
xx この信仰を持ち、この神の位に上った人々は、身を変えられて天に取り上げられた。
xx さて、メルキゼデクはこの位の祭司であった。そのため、サレムで平和を得て、平和の君と呼ばれた。
xx そして、この民は義を行い、天を得、エノクの町を求めた。それは、末日まで、すなわち世の終わりまで取っておくために、神がかつて地から分けて取り上げられた町である。
xx 神は、天と地が一つとなり、神の子らが火によるかのように試されると言い、固く誓われた。
xx このメルキゼデクはこのように義を打ち立てたので、彼の民によって天の王、言い換えれば、平和の王と呼ばれた。
xx そして、彼は大祭司であり、神の倉を守る人であったので、声を上げて、アブラムを祝福した。
xx 神は彼を、貧しい人々のために什分の一を受け取るように定めておられた。
20 そこでアブラムは、自分の持っていたすべてのもの、すなわち神が必要を超えて授けてくださったすべての所有の富の什分の一を彼に納めた。
xx すると、神はアブラムを祝福し、御自身が交わされた聖約と、メルキゼデクが彼に授けた祝福とに従って、富と誉れと土地とを永遠の所有として彼に授けられた。
」
このジョセフ訳のようには、まあぁず、なってないんじゃぁぁ???
なってたとしたら、創作派に朗報です・・・
創作派の皆さんは、たとえば、こちら・・・
NJWindow(J) アーマンド・L・マース死去(享年92歳)
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