おぉ、ぉ、ぉ、年1、2回あるかどうかの200人越えの訪問者だぁぁ。昨日の記事、やはり、インパクトあって、初耳みたいな、価値ありと認め、それで広まったんでしょうか??
昨日の-- 八福の教え 2013-08-12 10:16:54 | モルモン書
で、この記事内容に至った背景の種明かしなんですが、この5月にバプテスマ受けられた、タクシーの運転手さんの、彼と、日曜教会で、雑談する機会がよくありましてね、この日曜、まぁ、彼の聖典からの質問みたいなのに応じてた時だったんですね。
この5月-- 聖句解釈、間違えてたぁぁ!!・・・・ 2013-05-27 08:38:53 | 聖文から・・・・
彼が、第3ニーファイの”至福の教え”のところを、どういった理由で持ち出したのか、ちょいと失念ですが、たまWEBは、そこは、マタイ伝にもあって同じだよと言って、聖典を開いたんでした。で、読み比べしましてね、彼が言うには、じゃぁ、ジョセフ・スミスは、聖書から書き写しただけなんだねと。まぁ、たまWEBは、いや、いや、ジョセフの翻訳なんだけど、カーテンで仕切られたところで、聖見者の石といったもの見て、それに現れる文字を読んで、それを聞いたオリバァとかが、書き取っては、一文ごとに読み上げ、再チェックして・・・・とか何とかということを、英語圏のネットにある情報をですね、まぁ、話したらどうかとか思ってましてね、でも、とても、めんどう、彼はネットにつながってないし、新しい会員でもあるわけで等と、思いながらも、聖文に目をやってたんでした。
その時でしたかねぇ、ほんの一瞬、突然、眼を開かせられたというか、12章1、2節にある”幸いである”ところのバプテスマを受ける人々というのが、強く印象付けられた感じで、その人々こそが、3節以降の、八福の”幸いである”人々になるのかぁといった感じだったんでしたかぁぁ。そうなら、マタイ伝に出てないのは、モルモン書にある、あの貴い部分が消されたというのに通じるのかも?なんて、思いましてね。家に帰っても、その印象が強いうち、早速、12章の1、2節の聖句部分を使ったりして、ネット検索したんでした。
「26 見よ、その教会の者たちは、分かりやすくて大変貴い多くの部分を小羊の福音から取り去り、また主の多くの聖約も取り去ってしまったからである。」(第1ニーファイ13章)
"貴い" ”モルモン書”
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E8%B2%B4%E3%81%84%22+%E2%80%9D%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%9B%B8%E2%80%9D&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
日曜学校教師用手引きをのぞくと、「クラスの生徒の必要に最も適した聖句,質問,そのほかの資料を祈りの気持ちで選ぶ。 3ニーファイ12:1-12から選んだ箇所を読んで話し合う。」で、1,2節への言及はなし・・・・まぁ、日本のどっかの日曜学校では、1、2節にコメントした教会員もいるんでしょうけど、そういった分かち合いの場がないんだよねぇぇ・・・・
このダニエル・H・ラドロウ(1924–2009 BYU宗教学教授、『モルモニズム百科全書』1992 を編纂)が、『モルモン書への手引き』で、”八福の教え”は、バプテスマを受けた人々が対象となる、その意味で、新約聖書と比べ、情報性でより完璧だ、”and”の等位接続詞で結ばれてるのは興味深い、最初のバプテスマを受けた人々に向かわせるといったこと、記してますな。昔、たまWEB、このラドロウさんの”イザヤ書へのコメンタリー”とかいう本、買った記憶ありますが、内容的には、いまいちという感じだったかぁ・・・・やっぱ、アブラハム・ギレアデ氏(1940- 生れはユダヤ系オランダ人 イスラエルでキブツに住みユダヤ教徒に 図書館で司書から渡されたモルモン書を読み・・・・)が、教会員になるよう導かれて、ということですかぁぁ・・・・
http://bookofmormononline.net/#/commentary/5037
http://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_H._Ludlow
http://en.wikipedia.org/wiki/Avraham_Gileadi
いやぁぁ、ほんとにありがたいというか、その、5月の記事にも似て、タクシー運転手さんの新会員さんとの出会いを通じ、たまWEBの聖典理解は、突っ込みどころ満載が判明。教会で何十年かかって、これだけという、困っちゃうぅぅ・・・・ネットで、こうしてたまWEBなりの勉強成果をアウトプット出来る環境にあるのも、ほんと、ありがたし・・・・「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである 。」(マタイ18:18〜20)「32 まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。一つのことについて2人または3人がわたしの名によって集まっている所には、見よ、わたしもその中にいる、とわたしが弟子たちに言ったように、まさにそのようにわたしはあなたがたの中にいるのである。」(教義と聖約6章)ということで、そういった場で、聖霊の賜物として、啓発されたんでしょう。こういう経験いっぱいあるといいんでしょうけど・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます