「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「作詞家の心意気『それ行けカープ』」

2016年08月10日 | つれづれ噺

                            
         カープのラッキーセブン、この歌と共にジェット風船が舞い上がる

^^♪ 空を泳げよ 天もまた胸を開く 今日のこのときを確かに闘い 
     はるかに高く はるかに高く 栄光の旗を立てよ カープ カープ カープひろしま ひろしまカープ ♪♪

首位をひた走る今年のカープ。選手を鼓舞激励する異常なまでの盛り上がりを見せる観客席。
中でもラッキーセブンと言われる7回の攻撃が始まるとき、ホームゲーム、アウエイを問わず、『それ行けカープ』の
応援歌が高々と流される。曲の終わりには、球場を染める真っ赤なジェット風船が夜空を染める。

あの心地よいカープ応援歌「それ行けカープ」の作詞はなんと、当時の売れっ子作詞家、それも女性であることを初めて知った。
マツダスタジアムで、ジェット風船をふくらませ、声高らかに歌うこともあれば、友との飲み会で興が乗れば歌いだす。
あの歯切れのいいカープ応援歌は、防府市出身で現在千葉県市原市在住の有馬三恵子さんという方の手によるものであった。

1960年代には大ヒットした伊東ゆかりの「小指の想い出」や南沙織を世に出した「17歳」などを書いたあの手で、「それ行けカープ」はちょっとつながりにくい面もあるが、そこはプロの腕と心意気がなせる業なのであろう。
「カープを優勝させる会」の代表であり、雑誌「酒」編集長であった、今は亡き佐々木久子さんに可愛がられた過去を持つという。
そんな佐々木さんからの勧めもあり、レコード会社から依頼されたときに「意気に感じて書き上げた」というエピソードもある。

「カープの活躍を天も受け入れてくれる」との思いから出て来た『天もまた胸を開く』で一気呵成に仕上がったのだそうだ。
それがあの、初優勝を成し遂げた1975年の8月に完成し発売されたといういわくもついている。
もちろん詩の力は偉大だが、曲も又素晴らしいものである。
作曲は故宮崎尚志さんで「歌謡曲もどきではなく、東京六大学の応援歌のように格調高く……」という作詞家の意向を見事に受け止めた、まさに二人のプロの心意気が重なった、我らがカープの応援歌「それ行けカープ」。

このような深い味わいを感じながら、秋には今一度笑顔で、大声で歌いあげられるカープの活躍を祈っている。
♪♪ 勝ちに行くのが選ばれた者の定め~ …… ♪ 夏バテを乗り越え、ガンバレカープ!!

 

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「母親ゆずりの」

2016年08月07日 | 家族・孫話

             
              母親ゆずりの浴衣を喜ぶ孫       錦帯橋花火ではありません(ネット拝借)

8月6日は、広島発「世界平和を願う日」である。
言うまでもなく71年前、昭和20年8月6日午前8時15分。人類初めての原子爆弾が広島市中心部に投下された日。
広島平和公園原爆慰霊碑では、厳かに平和を祈る記念式典が行われた。
こちらでも、8時15分に市の防災無線を通じてサイレンが吹鳴され、1分間の黙とうを捧げた。

そんな8月6日の夕べ、岩国市を流れる二級河川「錦帯橋が架かる錦川」で、恒例の『錦川水の祭典、花火大会』が行われた。
里帰りした倅夫婦も希さんを連れて、花火見物に出かけた。
その時の希さんが、ちょっとおとなし目ではあるが可愛い浴衣を着せてもらった。

ジジババはまだ買ってやっていないな~と思いながら「ホ~かっこいいね」と思わずつぶやくと「私のお下がりです」と嫁が言う。
20数年前、両親から贈られた初めての浴衣。それを嫁のお母さんが大事にしまっておいてくれた思い出の品。
それを今、ばあちゃんの手でホンの少し着丈を直し、3歳になった希さんに着させて喜んでいる嫁。

お金持ちの家に嫁いだわけではない実情をよく心得ていてくれる。
これはこれで実に堅実で微笑ましいが、それ以上に、20数年もの間、大切にタンスにしまっておいた上に、
こうしてすぐに取り出して着せられる状態を保たれた、嫁さんのお母さんの行為に、気持ちが軽くなる温かさをおぼえる。

世の中「断捨離」が叫ばれ、私たち自身も「本気で断捨離しておかないと、若い者に迷惑かける」と思いがちである。
そればかりを優先させてよいのか、という思いもある。単に懐古趣味でも欲張りでもない「浴衣のお下がり」に、気持ちの中を涼やかな風が吹くような思わぬプレゼントをもらった心地がする。

核兵器のない世界平和に祈りを込める日に、取るに足らない小さな平和を感じさせてもらった。少し大げさかもしれないが。

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「夏休み、素敵な交流」

2016年08月05日 | 家族・孫話

       
           わざわざレフト外野スタンドに陣取って

来る日も来る日も逃げ場のない、うだるような暑さ。
それでも毎日、「じいちゃんちがいい」とやって來る小学1年生、悠雅君。
やがてこんなジジなど見向きもしない日が来るのが分かっているだけに、汗をかきながらも相手を勤める

幸か不幸か、カープタウン由宇球場で対ソフトバンクの二軍戦が行われていた。それを見に行きたいという。
今年はもう2回もマツダスタジアムへ一軍の公式戦に連れて行ったじゃないか、と思いつつもお付き合い。
この暑い日差しを少しでも避けようと、家庭用小型のテント「ワンタッチ サンシェード」なるものを抱えて。

球場に着けばテントで日差しを避けるのジジと、昼ごはんや飲み物のクーラーボックスだけ。
「ホームランボールを拾いたいんよ」といって、ガンガン日差しの下、外野芝生の上でひたすらホームランを待つ。

いつの間にか、全く知らないおじさんとえらい親しく話を始めた。野球談議をしている様子。
なんと7歳児がちゃんと敬語で話している。「ここには時々来ます」「きにょうは、大瀬良で負けましたね」などと。
相手をしてくれる人がまた気のいいおじさんで、えらくウマが会ったようで、くっつくほどに寄り添って話していた。

そのうちおじさんは、バッグから取り出したカープ選手サイン入りボールを「あんたにあげるよ」と渡してくれた。
「もらってもいいかね?」と悠雅君の目がじいちゃんに問いかける。「ありがとう言ってね」うなずいてやる。
そのボールで、くだんのおじさんと近距離キャッチボールを始めた。「オッ、スジがええよ、こりゃ期待が持てる」
などと褒められて大喜び。そしたらまたまたご褒美が。「これはマツダスタジアムでホームランボールを捕ったやつ」
と言いながら、もう一つをバッグから出して手渡してくれた。これには、いささかジジも気兼ねになって、「本当にいいんですか?」
「ええんよ、これほど興味を持つ子に出会ったのも何かの縁じゃけー」と、喜んで渡してくれた。

『後生大事』という言葉そのままに、嬉しそうに硬式野球ボールを二つも頂いて帰った。
家に帰ればシャワーもそこそこに、「キャッチボールしよう」と、その硬球でキャッチボール。

あの人出もさほど多くはない由宇球場で、こんな偶然、こんな出会いに巡り合うとは。
案外、いい星の下に生まれたのかな、それとも野球に対する姿勢への天からのご褒美なのか?
悲鳴を上げそうな炎天下ではあったが、とても素敵な交流の一日を過ごした悠雅君。ジジもご満悦!!

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「夏休みのひと仕事」

2016年08月03日 | 地域活動

       
         小学校講堂で、希望者を集めた、夏休み竹細工教室

7月の海の日に行われる海岸清掃「瀬戸内海環境保全大作戦」に続いて、8月に入るとすぐに予定されている地域活動。
それが、夏休みの小学校生希望者を対象にした「竹細工教室」である。
地区内にある二つの小学校を受け持つので、参加者の合計は160人に及ぶ。

低学年は「竹笛」中学年は「ガリガリトンボ」そして高学年は「竹トンボ」を作ってもらう。
それぞれに見合った材料調達は、竹藪の持ち主と交渉して無償提供していただく。
ただその切り出しや、会場までの持ち運びもなかなか骨の折れる仕事ではある。

そして、我々教える側も1年に1回なので、案外作り方の基本を忘れていたりする。
そこで、我々指導に当たる20数人が、あらかじめ集まって指導の練習をする。
その時、大半の中間製品をこしらえておいて、当日ひとり一人に中間製品を渡し、一緒に仕上げる。
こういった段取りで、これまで8回実施してきた。

もちろん当日は、ノコギリを持たせたり、ナタを持たせたりして、実際に切る、割る、削る、穴をあける、磨く
という一連の動作を体験させたうえで、自分の作品仕上げに取り組ませている。
そんな一連の動作には、言葉ではなく態度で教えなければならない、仕草、身構え、体制などといったものがある。
一口で言うなら、「コツ」ということになろうか。それと刃物を使う上での危険性の排除。これは欠かせない。

今どきの子ども達に、切り出しナイフやキリ、ロウソクであぶるという作業をやらせるのだから、
学校の先生や親の立場とは異なる、優しさの中に厳しさと本質を、少しだけ解ってもらう努力は要るのだろう。
ただ集まって、竹トンボが出来た、竹笛がいい音色で鳴る、といった結果だけではつまらんな~と思う。

滅多にやらないことを体験させるチャンスなのだから、危険性も、道工具を扱うコツも合わせて教える。
その上で、オリジナルの作品の出来上がりを喜ばせ、思い出を残させるのがいいな、と思うのだが。
「それほど堅いことを言わんでも……」という意見の方が強い世の中に、ちょっとだけ寂しさを感じてしまう。

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「夏休みも佳境に」

2016年08月01日 | 季節の移ろい・出来事

                              


104歳の大往生を遂げた叔母の四十九日法要が終わり、一つ予定欄に横線が入った。
気持ちを込めて法要には立ち会ったが、この叔母の死は、私たち夫婦にとっていまだ受け入れ切れていない部分があるような。
亡くなるちょうど1カ月前、完全寝たきり状態で点滴のチューブにつなぎとめられたベッドから「あんたのお作りる寿司はおいしかったね~」と言われたのが、この叔母の最後の言葉であり、最後の会話となったのである。

出来るなら今一度、ホンの一口でいい、味わってもらって「おいしいね~」という言葉が聞きたかった。
それになんかしらおふくろ孝行しているような錯覚を味合わさせてもらっていたことにも気づかされる。
こちらの都合で無理やり長生きをお願いするのも酷な話であることはよく分かっている。
それでも、認知もなく、書を読み、世間を語る叔母のもとに、足を運ぶ喜びを感じていたかった、という我がままが残る。

今さらそんな繰り言を並べても仕方がない。もう真っ白いお骨と化してお墓に納められたのだ。
気持ちを新たにしたとたんに8月を迎えた。夏休みも佳境に入り、行動的な7歳児に尻を突っつかれる、暑い夏である。
相変わらず「放課後教室よりじいちゃんちがいい」とはっきり言う彼を、迎え入れないわけにはいかない。

そんな彼との付き合いの合間を縫って、地元小学校の竹細工教室の指導や、花壇の水やりボランティア、草刈りや樹木剪定の学校整備活動など、彼とは直接関係ない奉仕活動も目白押し。予定表を見るだけで汗が噴き出そう。

我が家はといえば、今年も地球温暖化対策に貢献しようと、緑のカーテンづくりに挑戦した。
毎年、宿根の琉球アサガオで緑のカーテンというか、「花すだれ」を作ってきた。
今年はもう一つ欲張って、ゴーヤーを4本植えて、琉球アサガオ、普通のアサガオ、それにゴーヤーと、プランターにひしめいている。

厳密にはゴーヤーは2回目の挑戦で、初めてチャンプルーができるほどのゴーヤーが取れた。少しズングリむっくりタイプ。
ゴーヤーは、孫芽から実を付けるのだそうな。遠慮なく最初の芽は摘み取るように、と教わった。実を結んだ。
支離滅裂な8月のスタートだが、水分補給で熱中症対策と、カープの応援だけは欠かさないことを宣言する。

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