カープのラッキーセブン、この歌と共にジェット風船が舞い上がる
^^♪ 空を泳げよ 天もまた胸を開く 今日のこのときを確かに闘い
はるかに高く はるかに高く 栄光の旗を立てよ カープ カープ カープひろしま ひろしまカープ ♪♪
首位をひた走る今年のカープ。選手を鼓舞激励する異常なまでの盛り上がりを見せる観客席。
中でもラッキーセブンと言われる7回の攻撃が始まるとき、ホームゲーム、アウエイを問わず、『それ行けカープ』の
応援歌が高々と流される。曲の終わりには、球場を染める真っ赤なジェット風船が夜空を染める。
あの心地よいカープ応援歌「それ行けカープ」の作詞はなんと、当時の売れっ子作詞家、それも女性であることを初めて知った。
マツダスタジアムで、ジェット風船をふくらませ、声高らかに歌うこともあれば、友との飲み会で興が乗れば歌いだす。
あの歯切れのいいカープ応援歌は、防府市出身で現在千葉県市原市在住の有馬三恵子さんという方の手によるものであった。
1960年代には大ヒットした伊東ゆかりの「小指の想い出」や南沙織を世に出した「17歳」などを書いたあの手で、「それ行けカープ」はちょっとつながりにくい面もあるが、そこはプロの腕と心意気がなせる業なのであろう。
「カープを優勝させる会」の代表であり、雑誌「酒」編集長であった、今は亡き佐々木久子さんに可愛がられた過去を持つという。
そんな佐々木さんからの勧めもあり、レコード会社から依頼されたときに「意気に感じて書き上げた」というエピソードもある。
「カープの活躍を天も受け入れてくれる」との思いから出て来た『天もまた胸を開く』で一気呵成に仕上がったのだそうだ。
それがあの、初優勝を成し遂げた1975年の8月に完成し発売されたといういわくもついている。
もちろん詩の力は偉大だが、曲も又素晴らしいものである。
作曲は故宮崎尚志さんで「歌謡曲もどきではなく、東京六大学の応援歌のように格調高く……」という作詞家の意向を見事に受け止めた、まさに二人のプロの心意気が重なった、我らがカープの応援歌「それ行けカープ」。
このような深い味わいを感じながら、秋には今一度笑顔で、大声で歌いあげられるカープの活躍を祈っている。
♪♪ 勝ちに行くのが選ばれた者の定め~ …… ♪ 夏バテを乗り越え、ガンバレカープ!!