田んぼの畦道を彩る緑が、ここ2・3日の雨で一段と生気を放つ。
遠くの山は、低く垂れ込めた雲に覆われ、さながら一幅の墨絵かと・・・。
よく降った。局地的豪雨で災害の心配もされたが、大きな被害もなく一段落したようだ。
稲にしてもレンコンにしても、この植え付け時期の雨は貴重である。
災害さえ起こさなければしっかり降ってくれと祈りたいほどの恵みの雨だ。
この時期、梅雨を前にして2日も3日も続けて降る雨を「梅雨のはしり」という。
はしりとは、物事のはじめとなったもの、先駆けのことである。
かつては、精一杯の事をやっていく中で、ふと気が付いたら、OOのはしり・OOの先駆け、といったような一歩先んじたことをやらかした時もあったように思う。
それが若さというものだったのだろうか。
ということは、そのような先駆け的な行動がほとんどなくなった今は、やはりそれなりの御年ということか。
中天高く光彩を放つ太陽でさえ、日暮れが近づけば柔らかく丸味を帯びた夕陽となる。高いつもりで実は低い教養をひけらかす愚を避け、後進の育成に手を貸そう・・・。
と、自ら気付いて欲しい人が、自分を含めて、世の中には意外に多いものだ。
また素敵な言葉を教えてもらいました。
私から見ると
お孫さんたちを見守るyattaro-さんは
「イクメン」ならぬ「育爺」(失礼!)のはしりだと思っています。
黄砂で見事にかすんでしまった山並みは風情もありません。田んぼに水が入ると風景が一変するようで好きです。
大事なのはyattaro-さんの「過去」ではなく、これまで経てきた時間が創り上げた今のyattaro-さん。
はしりとなるような生きる姿勢も、きっと数々?の失敗もすべてふくめてが現在のyattaro-さん。は「過去」は、これまでの生き方は今のyattaro-さんのお姿に滲んでいるわけでしょう。
後継者を育てることに尽力されることはピッタシのお役目ですわ。
高いつもりで低いのは教養、低いつもりで高いのが気位 ですって~。(笑)大きなつもり違い、ですね。
年齢を経てやっと見えてくるもの。少し分かってくるものってある気がしますね。
若い頃は見えないこと色々でした。
言いづらい事も言うというのが本当の親切なのでしょうね。
ソフトなyさんに、育てられる、教えていただける若者は幸せだと思います。
またいつか思い出してね。
イクメン・・・と言われてみたかったですが、我が子を育てる頃にはまるでそっぽを向いていたような・・・。
イクメンなどとはほど遠いお父さんでした。
せめてもの罪滅ぼしに、おっしゃるとおりの「イク爺」です(笑)
周りにも同じような人がいっぱい・・・。
取ってもお気に入りの風景です。
そうですね、今のこの姿がすべてですね。
道草食ったり回り道したり・・・そんな諸々を含めて今があるんですよね。
大きなつもり違いをせんように、これからも心しないといけませんね。
でもそれこそが生きてきた証しみたいなものなのでしょうね。
なかなか思った通りには行かない世の中ですが、こうありたい・・・と思うことは忘れないようにしたいと思うのですが・・・。
今日はすこーし変よ、
どうしたのかな~・・・」
と、思わず。ごめんなさい。
梅雨のはしりの重く垂れ込めた雲なんかで気を滅入らさないでくださいね。
御年のせいなどとも思わないでください。
yattaro-さん、今も尚走りっぱなしじゃありませんか。
そのバイタリテイーと意欲にはいつも驚かされていますよ。
「いろいろな人のいるのが世の中」
先ずそれを認めなくちゃといつも思っています。
誠実で人間味豊かなyattaro-さんには、特別、後輩を育成しようなどと思わなくても皆後からついてきてくれてますよ。信じてます。
ちょっと褒めすぎて頂いて、穴があったら入りたいような・・・。
とてもとても思うような人間像にはほど遠いのですが、水面下の水かきを忘れたら沈んでしまいそうなので、なんとか沈まないように、水をかいています。