右と左の絵を敢えて違うものを描いて間違いを当てさせる「間違い探しゲーム・クイズ」が、新聞にも雑誌にも色んなところに載っている。
意識して違いを描いているのだから、探す方も必死で探し、当ったら拍手がもらえる。描いた側は、今度はもっと分かりにくい微妙な間違い問題を提出しよう・・・と、イタチごっこは果てしなく続く。そこは、クイズやゲームであったり遊びの世界だからまあ許されるし笑って済ませられる。
ところが、ゲームでもない、遊びでもない普通の生活の中で、他人の間違い探しを趣味とする、あまり性格の佳くないと感じる人の何と多いことか。
などというと、不幸な世界に生きていらっしゃるのね、なんて同情されるかもしれないが、実際に皆さんも周囲を見回してごらんなさい。そういう性格の方がはるかに多いことに気づかれると思うが如何?
もう一つ言うなら、他人の失敗や失言・失策を、得たり賢しと論う(あげつらう)人も少なくない。あげつらわないまでもフォローしたり寄り添って慰めたりなどはしない。放っておいてくれる方がまだマシな話しである。
ちょっとしたミステイクを上手にやんわり指摘して、間違ってはいけない間違いの訂正を求める。こんな流暢なことができるのは、可愛い孫の間違いを見つけた時くらいのものではないか、などと、まるで自分のことを言っている気がしないでもない。
営利を追求する企業の中の重要なポジションという立場ならいざ知らず。ボランティアの集まりが基本の地域活動などで、その道に少し詳しい知識を持った人が、元の職場での地位を今も引きずっているかのような言動、つまりスタンドプレーには閉口する。閉口せずに対抗・抵抗すればボランティア活動が壊れそうになる。静かに身を引くかという結論に至る。
知識や眼力の鋭さをひけらかす間違い探しは、間違い探しクイズやゲームの中だけにしていただけると有り難いのだが。と誰に言うわけでもなく、己自信によく言って聞かせよう。
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