それは3月4日土曜日の21時50分、信じられない展開がスタートした。
「〇〇さんですか?」「はいそうです」「こちらは警察署ですが、△△さんをご存じでしょうか?」「△△は私の姉です」
そんなやり取りの後「すぐに国立医療センターにお越しいただけますか?」「何事でしょうか?」「実はお姉さんが交通事故に……」
何はともあれタクシーを呼び、すっ飛んで病院の救急センターへ。
そこには交通課の警察官ではなく「生活安全課」の警察官3人が待っていた。「お姉さんに間違いないか確認をお願いします」と言う。
暗い面持ちの当直看護士さんの挨拶を受け、診察室へ。途中で「意識はありますか」と尋ねてもはっきりした返事はない。
診察室のベッドには、静かに眠っているが如き言わぬ姉が横たわっていた。すでにこと切れていた。
「私の姉に間違いありません」という言葉でようやく身元が判明。事故発生から4時間近く経過していた。
警察の説明では、国道の横断歩道を渡っていた姉が、18時52分、乗用車にはねられた。
救急搬送された病院で19時52分臨終を迎えた。乗用車の運転手は76歳の男性で、自動車危険運転防止法違反で現行犯逮捕。
そんな説明を受けたが、姉が息を吹き返すことなどありはしない。
悲しみを感じる余裕もないほど突然の身内の最期。何も考えられない空白の重たい時間が過ぎる。
兎に角、姉の親族へ連絡しなければ。遠くに住む息子二人に連絡を付けたのは日付が変わるころだった。
彼らにとってはまさしく寝耳に水。降って沸いたような突然の悲報。伝えるこちらも辛いが、受け取る方はもっと驚いたし辛かったことだろう。明朝一番で帰って来ることを約束。そこから本格的な叔父さんの出番が始まる。
深夜の葬儀屋との折衝。遺体の引き取りなどを一通り終えて、床に就いたのは午前3時。
翌朝も早くからお寺さんとの時間折衝。その結果を葬儀屋に報告して斎場の手配を。親戚への訃報連絡に追われる。
涙も忘れて、若い不慣れな兄弟の代理として、あれこれを。
一通りの儀式を終えて、取り敢えず兄弟は自分たちの生活に戻って行った。
ようやく気持ち的に少し落ち着いて振り返ったら、あっと言う間に一週間が過ぎていた。
享年85歳。年に不足はないと言われても仕方ないところだが、足腰はもとより、気持ちも頭もしっかりした元気印であった姉。
まだまだ意欲的にあれこれ手がけたこともいっぱいあったのに。
いきなりの事故によって即お浄土への旅立ち。理不尽と言うより他に言葉がない。
旅立ちへの予備知識など全くない今回の出来事。受け入れ難いが現実として受け入れざるを得ない。辛い。悲しい。
今少し時間が欲しい。そのうち今よりは整理した気持ちが取り戻せることだろう。
世の中ってほんとに一寸先は闇。色んなことが待っているようだ。 合掌
一寸先は闇、突然のことゆえ大変な時間を過ごされたことと想います。
落ち着かれましたらゆっくりお話を聞かせてください。
季節の変わり目、ご自愛くださいませ。
テレビニュース・新聞記事を見聞きした時、ちゃんと横断歩道を渡っていたのに何とお気の毒な事故だと思いました。
それがまさか、お身内の方だったとは驚いています。
更に心が痛みます。
どれほどのお気持ちで事を運ばれお動きになられたことでしょう。
気丈に振る舞われた一週間、どうぞ心身ともにお大事になさってくださいませ。
あまりにも突然、あまりにも身近過ぎて、思考力も失せるような時間を過ごしました。
季節は春が巡って来るようです。少しずつ気持ちを立て直したいと思っています。
国道沿いなので、ひっきりなしにパトカーや救急車のサイレンを聞いてきましたが、どこか他人事のように思ってきました。
まさかそんなことが現実になるとは。
このところ救急車やパトカーのサイレンを聞くと、耳をふさぎたくなる思いです。
春に向かう季節に乗って、少しずつ気持ちを立て直したいと思っているところです。