気軽に見ていられる、地元小学校の運動会
福岡県に直接上陸する初めての台風。ということで、これまでにない珍しい進路をとった台風14号。大いに心配して、サッシ雨戸も完全に閉めて、宵のうちしばらくはガタゴト・ギシギシに加えてビュ~~という音に少し怯えた。
それがなんと、夜半にはピタッとやみ、雨も上がった様子だった。
朝起きたらもうギンギラ太陽が眩しく、予定されていた地元小学校の運動会も実施となった。そうなると役目柄、運動会スナップを撮りにいく作業が待っている。但し、私のような、児童の保護者でもない、単なる地元広報紙の写真取材などは、コロナ感染対策で来場お断りの筆頭である。それでも一応会場に赴き、校長先生に事情を述べたら「どうぞどうぞ、是非よろしく」ということでやっとこさ、あちこちにカメラを向けられる。
昨年に続いて、コロナ対策縮小バージョンで、約2時間の淋しい淋しい運動会である。そんな中でも「よーい、ドン」の駆けっこだけは全学年行われる。
この「よーい、ドン」が私にとっては生涯頭から離れない、ちっちゃなトラウマとなっている。
瞬発力もない、持久力もない小学生の私はいつもみんなの背中を見てゴールに入った。どん尻である。
一方で、勉強は出来る、足は速い兄貴と比べられて、いつも親父を嘆かせたものである。「今日は生卵を飲んで元気出してガンバレ」と、70年前には貴重品だった生卵を飲まされて背中を押された。それでも効果なくどん尻はいつもの通りだった。
敗戦国の悲哀がまだ色濃く残る時代では、たとえ運動会のかけっこであっても、勝つ子が偉くて、どん尻は評価が下がったのかもしれない。どん尻は淋しいものだという思いが強くなり、運動会はきらいになった。どうかすると当日お腹が痛くなったこともあったのかな、なかったのかな。
そんな遠い過去がふとよみがえるのか、よその子の駆けっこにカメラを向けるのは、一緒に走る子が固まって走るシーンにシャッターを押す。1位と最後尾が離れすぎているシーンはシャッターを押す指に力が入らない。そして「遅くてもいいんだよ、最後まで精一杯の力で走って」と応援している。
こんなのをトラウマというのどうか判断に迷うところであるが、70年前が今も頭をよぎる運動会シーズンである。
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