「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「年の瀬恒例の」

2020年12月22日 | 季節の移ろい・出来事

今頃になって、新年元旦に届くようにとの願いを込めて、年賀状をせっせと書いている。とは言っても、絵柄や字体など豊富なバリエーションはいつもの通りパソコン頼みである。ただこの身を駆使するのは、短いながらも添える一言に意気を吹き込むくらいのこと。
なんで今まで手を付けずにきたの?。理由はいくつかあるが、結局は自分が「まだ時間はある」とノンビリ構えていただけのこと、かもしれない。
やる気さえおこしていたらもっと早く取りかかれたろうに、と自分を叱ってみる。
 

    “ せめてもの 生きてる証の 年賀状  ”   
    “ 年賀状 生きてる証に 投函し ” 
 
年賀状とは、川柳にもある通り「元気にやってますか~、オレも元気に生きているよ~」というシグナルのやり取りみたいなものである。ならば
このシグナルのやりとりは不要か、というと決してそうではないことに気づく。何気ない音信であったり、お世話になった方への1年間の感謝の言葉、という意味では、無駄などという言葉は当たらない。

もちろん中には、文字通り儀礼だけ。成り行き上仕方なく。あるいは、止めるきっかけがなくてね~。など無駄かな?と思われるものがないとは云わない。どっちにしても「せめてもの生きてる証」くらいの軽い気持ちを通わせるのもいいのではないか、と思うようになってきた。
特に、スマホメールやラインで済ませる簡素化社会の中で、新しい年の正月元旦にお互いの存在価値を1枚の葉書として形で残すのも悪くはない。

なんだかんだ忙しくて年賀状に回せなかった手を、本気モードで年賀状集中だね~、しばらく。

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