「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「錦帯橋、津々浦々に」

2018年07月30日 | 岩国検定

            

今年のNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」が面白くなってきた。
昨夜放送の第28話では、我が町岩国市を代表する「名勝・錦帯橋」が全国津々浦々に放映された。絶好のお天気に映える見事な絵であった。
それに、その昔新港と呼んでいた現在の岩国港の様子も。さらに吉香公園のお堀に浮かぶ錦雲閣周辺。最後は今回のドラマと直接つながる、川西の清泰院(元龍護寺)の佇まいなどが、うまくまとめられ、テレビ画面にはっきりと映し出された。

物語は、京都御所蛤御門をめぐる朝廷守護の薩摩兵と、元朝廷守護の立場であった長州側とのせめぎ合いから始まる。
結果的に朝廷、つまり天子様に向けて発砲し挑みかかった長州は朝廷の敵になってしまった。
かつての勢力を失いかけている徳川幕府としては、この際長州をつぶして亡き者にしたい思惑があった。

そこで幕府勢力を結集して長州征伐を企画。その総大将に西郷隆盛を抜擢した。
そのころの日本は、アメリカ・イギリス・オランダなどの列強がよだれを垂らすほどの占領国の標的であることを、当時の心ある若き志士たちは知っていた。勝海舟・西郷隆盛・坂本龍馬・桂小五郎などは、所属する藩や身分は違っても、みんな心を同じくしていた。
幕府の命令とは言え、日本国内で日本人同士が争って疲弊すれば、列強に占領のチャンスを与えるようなもの。

その愚を避けるために西郷は総大将として、戦わずして長州に恭順させる方策を選んだ。
それが長州の玄関口岩国での、西郷と吉川監物による交渉となった。長州側の蛤御門戦闘の責任者として若い家老3人の首を差し出すことで戦争を回避する西郷提案に長州側が従った。これにて第1次長州征伐は一件落着と相なった。

というような物語の展開の後で、話題の町を紹介するコーナーとして、岩国城を見上げる錦帯橋の雄姿。西郷が船で岩国に上陸した新港。そして家老福原越後が50歳で切腹した川西のお寺清泰院などが、緩やかにはっきりと全国ネットに載ったという次第。
物語はこの後頃から明治維新へと一気に流れていく見せ場となるはずである。そこで今一度幕府による第二次長州征伐が始まる。
坂本龍馬ファンとしては、見逃せない幕末ドラマの展開である。もしご興味を示される方は、日曜午後8時NHK総合を。

ちなみに、福原越後の辞世の句を記しておきたい。
   『くるしさは 絶ゆるわが身の夕煙 空に立つ名は 捨てがてにする』   越後

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