「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「孤高のさえずり」

2017年06月30日 | 季節の移ろい・出来事

                           

沖縄や奄美地方では梅雨明けが宣言されたというのに、ここらあたりでは未だに梅雨の雨らしい雨が降っていない。
この分だと、間違いなく夏場の水不足が心配になる。畑や庭の水やりさえ気が引けるようになるだろう。
もっと降れ~~と大声で叫びたい気持ちもあるが、最近の雨は一極集中でとんでもない豪雨をもたらすので、その叫びも憚られる。

そんな降りそで降らない曇り空のもと、間近に聞こえるウグイスのさえずりはなんとも心地よい。
それはそれは、すっかり上手になった大人のさえずりである。朝早くには国道を隔てた遠くから、小さな声が聞こえている。
時間の経過とともにその声が段々近くに、やがて二階の窓のすぐ外で見事なさえずりを聞かせてくれる。

毎朝、お決まりのコースがあるのかのように、同じコースを飛び、同じ場所にやって来て、涼やかな声を楽しませてくれる。
あのちっちゃな身体を振り絞るように「ホ~ ホケキョケキョケキョ…」を繰り返す。まさに尻尾を震わせ、喉を膨らませるあの悲壮にも見える姿、鳴き声は自分の縄張りを主張すると同時に、求愛行為だという。

隣の空き地の枯れたヒノキの天辺で、周到に周りを見渡しながら、己の存在を主張する健気な姿。名付けて「孤高のさえずり」。
これほど間近で、あのきれいな声と姿を捉えられるのは珍しいし、季節の使者としては実に有り難い。

ふと思うのは、今の自分が置かれた立場とやっていることが、このウグイスの孤高のさえずりに似ているんじゃないか……と。
別に縄張りを主張するわけでもなく、もちろん求愛などでもない。もしそんな縄張りを冒してくれる奇特なライバルが現れたなら、どうぞどうぞと譲ってあげたい気持ちである。

じゃあなんで?、と問われたら、「醜態を晒したくない」という単なる保身と自己満足か? それだけでもない。
なんか自分でもよう解らないが、そこにそんな仕事があり、それをこなすことで回りがスムースに回転するのなら、それでいいや、と考えて、ときに尻尾を震わせ、喉を膨らませて声を上げているのかな~。となると、良くも悪くも今の自分はウグイス並みかな?
それにしては、手術後の鼻づまりで聞き苦しい声を発している。ウグイスと比較するなどおこがましいと自覚しよう。

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