正直な話、近年なかなかお口に入らなくなったマッタケ。今年は8月の異常な雨続きによって、地域的に豊作なところもあると聞く。
しかし、表玄関からも勝手口からも、秋の味覚のおすそ分けが届かない。不義理のないよう上手にお隣さんとは付き合っているのにやはり届かない。最近は松枯れの影響でこの近辺でもアカマツが極端に少なくなっている。そのせいでマッタケも生えにくいのだろう。ということにしておこう。
クルマで1時間ほど走った山間にある小さな集落がカミさんの里である。山山山に囲まれて山のめぐみは豊富な土地柄である。
議父母が健在の頃には、マッタケ狩りにクリ拾い。イノシシや野ウサギ、ヤマドリを追う狩猟にも同行したものだ。とくにマッタケ山は、手入れをして集団的に生える位置はちゃんと決めて守られ、山の素人にも、見つけやすくして待ってくれていた。クリ拾いも同様に、落ちて転がったクリがすぐに見つけられるように、広い栗林を完全に下刈りをして歩きやすいようにしてくれていた。
人間にとって美味しいモノはサルにとってもご馳走である。サルの軍団は地上高いところから襲ってきて、木になっている青いイガのクリでも見事に剥いて食べる。サルとの闘いは鉄砲に似た音を出すこと。プロパンガスによる爆音機を2・3カ所に据えてパンッパンッと弾ける音でサルを追うのである。そんなこんな、季節の味覚、山の恵みを守り通すには、私たちも年を取り過ぎた。ならば若かったら出来るのか。
これも、実収入・実生活など考え合わせると、年令に関係なく不可能としか言いようがない。
義父母はとうに亡くなり、跡を継いだ義兄夫婦も今は実家を離れた施設で生活。誰もいない親元に家だけが残されている。かつてのマッタケ山は栗林は、今やイノシシ・サルの餌場と化して久しい。
取れ立てで香り豊かなマッタケ。光り輝くクリの皮。そんな季節の味覚は、遠い思い出の世界だけになってしまった。
こんな思い出に更けるのも秋という季節なのかな~。
なんて思うと同時に、食べなくても死なないわ・・・と、直ぐに思い直して横目で見て売り場を通ります(笑)
家は住む人がいないと直ぐに痛む気がしてしまいますが・・・ワタシも実家に行く度に思いますが、妹が時々風を入れてくれたりしてるので何とか保ってる状態ですよ(苦笑)
5000円なんて誰が買っていくんかなぁですよ。
食べなくても死にゃせんわ。昔はたらふく食べて来たのだ…。負け惜しみにもきこえますが(笑)
家だって呼吸もするし窒息もしますよね~。
人が住んで、風を通しガタピシやって一緒に生活をする。これでこそ家ですよね。
なんとかしたいなとは思うのですが、私の一存などメじゃないですね(笑)