梅雨らしい長雨は少ない代わりに、ひと雨欲しいな、という頃に夕立を連れてくる今年の梅雨。
未だ梅雨明け宣言は出されてはいないが、こうして降ったり止んだりしているうちに、あらっいつの間に・・・?
などと梅雨が去り、いよいよジリジリする真夏がやってくるのだろう。
アサガオには毎朝の水やりは欠かせないが、大きくなりつつある畑のスイカは、何が何でも水やりをというほどではなく、例年の様に水道ホース片手に、あのシマシマの蚊と戦うこともなく助かっている。
この調子で、畑で完熟すれば、水分豊富なうまいスイカになるに違いない。ウッシッシ。
順調な梅雨空に恵まれているのは、スイカやトマトばかりではない。遠く里山を望む蓮田も青々と順調で、丸い大きな葉っぱが、根っこを太らせようとがんばっている。
雨上がりのしずくをとらえたつもりの写真。水滴が目に止まるだろうか
夕立に濡れたしずくを、懸命に持ちこたえようとするオニユリも、この季節を代表する花である。
「荘厳」 「富と誇り」 という花言葉を持っている。それにしてもこの色は、なんかしら暑そうですな~。
渇いた土にホコリを立てるほどの激しい夕立は、畑の作物の成長を助ける。いわゆる、成長を助長する。
ところが、この「助長」という言葉にいささかの問題あり、を発見した。というか初めて知った。
むかし、宋の国に愚かな人がいて、自分の畑の苗を早く成長させようとして、無理やり引っ張った。
後で家の者が行ってみたら、無残にも苗はみんな枯れていたという。
今日では、「助長」という言葉は、人の能力が伸びたり、物事が進むのをそばから助ける、という意味でつかわれる。
しかし、元をたどれば、成長を助けようとして、方法を誤り、却ってダメにしてしまうことを言うのだそうだ。
ことをなすにあたっては、それに集中することは必要である。しかし、時を待たずして無理に成果を早めようとしてはならない、という「孟子」の教えなのである。
梅雨が上がれば夏休み。じいちゃん学校も再開を迫られそうである。が、助長の方法を誤らないように心しなければなるまい。
程よい雨で助かっています。
オニユリの水滴、大きな目で真ん中辺りに見つけましたよ。
「助長」はそんな意味だったのですか。初めて知りました。
姥桜の意味を知った時くらいびっくりしています。
何気なく使っている言葉にも色々あるものだと、自分自身が気が付いた次第です。
姥桜・・・これも驚きでしたね。
有難う。
言葉って色々面白いね。
引っ張り過ぎて枯らしてしまわないようにと願うばかりです。
方法を誤ると、とんだ逆効果になることを、教育ママやパパに知ってほしいですよね。