成人式を迎えた大学2年生
当市の成人式が1日早く、市民文化会館で行われた。正月休みで帰省中の大学2年生の孫君が、スーツにネクタイで参加した。その帰りに我が家に寄って、その晴れ姿を見せてくれた。5人いる孫のうち、2番目の彼が成人となった。本人にとっては単なる通過点であって、特別な感慨も感動も感じさせてはくれないが、何はともあれジジババにとって二人の孫の成人式は感動ものである。
我が家の前で幼稚園バスからの受取、放課後児童教室のお迎えなど、まさしくこの手で大きく支えて来た感のある孫次男坊君。お兄ちゃんに続いて先ずは無事に成人となる日を迎えたことは、大いなる慶びである。
友達とつるんで成人式には行かないような話をしていたが、両親の説得に反論しながらも「会場まではみんなを誘って行く」ということになり、なんとか出席したらしい。
「今どきの若い者は・・・」などとあまり言いたくはないのだが、成人になったということ、成人式を迎えたということに、今少し自覚を持って捉えて欲しいなと思う。今まではまだまだ半人前扱いだったのよ、それが今日から一人前の人間として、大人として世に認められる。その分何かと自由度が増える。その代わり個人の責任が生まれるのよ。そんな大きな変わり目、節目となる記念すべき日なんだよ・・・。
などというごく当たり前の話は、もう耳にタコができて耳の穴を通って鼓膜まで届かなくなっているのかな。それとも、もう二十歳になる今までに何もかも経験済みで、成人の意味も新鮮さもカンケーない時代になったのかねー。
スーツにネクタイといういで立ちは、成人式を迎え、大人の一歩を踏み出す記念に袖を通すもの、首に巻き付けるもの。などと自分で決めていた人間は古かったのかねー。しかも、成人式に着るスーツは何が何でも自分で稼いで自分で選ぶものだと決めていた。ネクタイ?ネクタイだけは誰かがお祝いにプレゼントしてくれるかも。などと、胸を高鳴らせて二十歳を迎えたのは、なんと60年も昔の話かぁ。時代は移り人の気持ちも価値観も変わるよねー。だから時の流れを自覚して、時代遅れの常識論をぶちまけても所詮空しい。ならば声を小さくして静かに見守るのがいいのかもね。
ただ、昭和38年、1963年のあの成人式の日。誰にも負けない笑顔で式場への階段を一歩一歩上がった感触は今も忘れない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます