「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「新幹線の見送り」

2021年08月17日 | 家族・孫話

                                        

今年4月から神戸の学校で学ぶ孫三兄弟の次男君。
あまり大きな声では言えないが、夏休みの一時帰省をした。完全寮生活で、夏休みでも食事は提供されるものの、寮の仲間や友達も多くが帰省。しばらくは寂しさを我慢していた。しかしそこはまだ子供の域を出ない。看護師である母親の厳しい監視と規制の約束を得て「神戸からの県またぎ移動」は実現した。

帰着後10日間は自宅の一室にこもった。好みの食べ物を作りたい祖母の元にも、最後の一日以外はやって来なかった。それほどに注意して、完全寮生活という囲いから束の間ではあるが、開放させてやれたのは、ジジとしても有り難かった。自らの想いを積極的に表に出さないタイプなので、多くを求めず少しだけ話をした。「好きな道を選ばせてもらったので、学校も楽しいし友達もいっぱいいるよ」と。この言葉が聞きたかったのだ。ジジ用のメッセージを準備していたのだろうか?そんなことはない、偽らざる今の彼の心境なのであろう。「食事代の足しに」わずかな小遣いを握らせた。

帰りは、ジジのクルマで最寄りの新幹線駅に見送り。年の離れた三男君も見送りしたくてたまらない様子で一緒に行った。間もなくレールスターが入り、次男君が乗り込む。「オレ前の方で送るから」と三男は先頭車両まで走った。発車したテールランプを長い間見送って戻ってくる三男は何度も何度も顔を拭っていた。こらえていた涙が溢れそうで、前の方に駆け出したのある。大学1年の兄を見送る小6の弟が涙を流す。普段はケンカ相手のライバルでも、しばしの別れとなるとこんなものか。これが肉親の本音なのか。思いがけない光景に、素知らぬ顔で目をそらしたジジも心温かくさせてもらった。

小さな田舎町の小さな新幹線ホームにも「見送り」そして「出迎え」の、胸に込み上げるドラマは存在するのである。それはどんな大きな駅にも負けない人間模様なのであろう。自分自身はこのホームでの見送られも出迎えも経験はないし、これからもあるかないか分からないが、ホームを吹き抜ける風以外何もない田舎の駅ゆえの「豊かな情」を感じさせる見送りとなった。

コメント (2)
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