「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「11年の歩み」

2020年02月18日 | カープ一喜一憂

              

2009年3月。ひょんなことから大手ローカル紙「中国新聞」のタウンリポーターのお誘いを受けた。
紙面の地方版に"タウンリポーター発”というコラムがあって、読者が投稿しているらしいことは知っていた。飽くまでも外観だけで、内容についてはよく知り得ていない。「タウンリポーター」って何じゃろう、何をするの?といった疑問符ばかり。

引き受けることが決まって岩国総局長との面談。さまざまな説明の後、中国新聞タウンリポーター要項を渡された。
「資格・待遇」「取材要項」「記事の作成と出稿」「注意事項」「個人情報保護」など、かなり厳しい縛りがあることに少しびっくり。
兎に角慣れることが第一、と自らに発破をかけてスタート。おっかなびっくりながら、気持ちだけは燃えていたね~。

記念すべき初取材は、2009年3月28・29日に行われた、宇野千代顕彰会主催「薄墨の桜を愛でる会」であった。
写真をどのアングルにするか、参加者を如何に多く見せる写真にするか。先ずは報道カメラマン修行。次いでレポート記事を書く。これがなかなか厄介。飽くまでも、主催者や参加者の意向、感想を第三者の感覚として冷静に捉えること。取材者自身の感想などは極力差し挟まない。
人数表記は「〇名」ではなく「〇人」。植物は原則カタカナ表記で、料理など加工したものはまた違ってくる。たとえば収穫したばかりはダイコンで、料理すれば「ふろふき大根」になる。などの表現方法や手法を叩き込まれながら、ヨチヨチ歩きで。

あれから11年。「日の当たらないところで地道に活動している人たちの努力にスポットを当てたい」というコンセプトを持ち続けた。
あちこち走ったな~ 数え切れない多くの人との出会いがあったな~ 助けてもらったな~ そうして歴史を刻んだ11年。400本のレポート。感慨は尽きない。快く取材に応じ、素人のリポーターを育てて頂いた皆さんに、心からの感謝を申し上げたい。
そしてこのたび、現岩国総局長の肝煎りで、いつもは取材をする側の小生にスポットを当て、「取材される立場」に立たせてもらった。

辛抱強くお付き合い頂いた歴代の総局長の懐の深さと、長く続けさせてもらったことにただただ感謝。
そしてついでに、「自らのボケ防止」と称しながら、この広い岩国市の東西南北を走り回った11年間を、少しだけ褒めてやりたい。
出来るなら、これも一つの通過点と心得て、さらなる皆さんの笑顔を求めて駆け回りたいものである。

コメント
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