「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「喪中はがき」

2017年11月10日 | 季節の移ろい・出来事

          

年賀状が売り出されてから早くも10日。
今年はどんな絵柄にしようか、お付き合いのジャンルに合わせて何種類の賀状を作ろうか、あれこれ迷う季節となった。
毎年この頃から、ああしようか、こうしようか迷う。こんなに早くから迷うのだから、十分余裕を持って出来上がりそうなものだが。
どうしても投函するのは、クリスマスを前にしたギリギリまで手許に置いてある……というのがいつものパターンである。

ただ、今年に限って言えば、これからゆっくり図柄を考えながら、などと悠長なことは言っていられない状況にある。
3月初め、実の姉が交通事故と言う全く予期しない事態で急逝した。
あの時の悲しみは今も気持ちの中で一つの傷として残っている。そんなわけで、年賀状に代わる喪中欠礼はがきの発信ということになった。

これまでも何回か経験してきたことではあるが、なんせ、9年前に母を見送って以来の喪中はがき作成。
賀状とは勝手の違う戸惑いもあるが、早くからすでに何通かの欠礼はがきが届いているのを参考に、オリジナルを考えてみる。
そうして昨日、180枚の束を郵便局に持参した。年末の大きな仕事を一足早く片付けた安ど感はある。

喪中はがきを作りながら、やはり色んな思いが頭をかすめる。姉のこと、母のこと、兄貴のこと、そして親父さんのこと。
その都度、深い悲しみの中で思いを新たにするなにがしかの決意を持って喪中はがきづくりに精を出してきたのだということを。
そして結論は、やはり身内に不幸のない穏やかな一年を過ごしたいという切なる願望が改めて胸に迫る。

喪中はがきのサンプルを見ると、最近では色んなタイプのものがある。
ただしめやかに走りすぎるのもどうかな、などと少し悩んでみる。受け取られた人の反応も気にしながらではあるが、結局はやはり小生の好みになってしまう。まあこれは年賀状と同じで、出す側の独断を甘んじて受けるのと似ている。

兎に角、儀礼であろうがなんであろうが、素直に「新年おめでとう」と声をかけられるごくふつーの正月が迎えられることが一番の幸せであるということだ。
来年は年賀状に悩む年末を迎えたいものだ。鬼が笑うね~。

 

 

 

コメント (2)
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