たまに食べに行くことがあった古い食堂が、今日限りで閉じることになった。
たまたま閉店を知ったので、夫とふたり、最後にもう一度食べに行くことにした。
まだ開店30分以上も前なのに、すでに数名並んでいた。
待っている間にも、ぽつりぽつりと並ぶ客が増えた。
ここの店は、わたしが中学生の頃にはすでに営業していたように記憶している。
中学・高校と叔父の家に下宿していたわたしは、週末毎に実家に帰っていた。
土曜の午後、仕事を終えた父が車でわたしを学校まで迎えに来る。
その帰り道沿いに、この店はあった。
父は時折、ひとりでこの食堂でラーメンなどを食べることがあったらしい。
わたしを乗せてこの店の前を通るとき、時々父が言った。
ここのゆずワンタンメンは、案外味がいいんだ。
食べていくか?
迎えに来てもらって、時間はちょうど昼過ぎ。
弁当は食べているけど、食べられないこともない。
でも、思春期の女の子が父親と一緒に入るには、あまりに普通の食堂だった。
べつに。
食べなくてもいい。お弁当食べたし。
わたしはいつもぶっきらぼうにそう答え、父もそうかと答え、
このようなやりとりが、年に数回あったのだけれど、
高校を卒業して父の迎えを必要としなくなるまで、
その食堂に、ついに父と一緒に入ることはなかった。
今日、しみじみと店内を見渡した。
父はひとりで、どの辺に座って何を食べたのだろう。
ゆずワンタンめんだろうか。
カツ丼だろうか。
脇看板の「ゆずワンタンメン」の文字。
父はいつも車を走らせながらこれを見ては、「食べていくか?」と聞いた。
天井はよく見ると網代天井になっている。
これは開店当時からのままなのだろうか。
わたしが頼んだのはもちろん「ゆずワンタンメン」。
あっさりしたスープに柚の香りがからんで、クセになる美味しさだった。
店主が体調をくずし、療養するための閉店なのだそうだ。
開店して48年とのこと。
震災のあとも、ほどなくして営業を再開したように記憶している。
どこのお店もまだ始めていない頃、ここで食べたラーメンはあたたかかった。
48年間、お疲れさまでした。ありがとう。
たまたま閉店を知ったので、夫とふたり、最後にもう一度食べに行くことにした。
まだ開店30分以上も前なのに、すでに数名並んでいた。
待っている間にも、ぽつりぽつりと並ぶ客が増えた。
ここの店は、わたしが中学生の頃にはすでに営業していたように記憶している。
中学・高校と叔父の家に下宿していたわたしは、週末毎に実家に帰っていた。
土曜の午後、仕事を終えた父が車でわたしを学校まで迎えに来る。
その帰り道沿いに、この店はあった。
父は時折、ひとりでこの食堂でラーメンなどを食べることがあったらしい。
わたしを乗せてこの店の前を通るとき、時々父が言った。
ここのゆずワンタンメンは、案外味がいいんだ。
食べていくか?
迎えに来てもらって、時間はちょうど昼過ぎ。
弁当は食べているけど、食べられないこともない。
でも、思春期の女の子が父親と一緒に入るには、あまりに普通の食堂だった。
べつに。
食べなくてもいい。お弁当食べたし。
わたしはいつもぶっきらぼうにそう答え、父もそうかと答え、
このようなやりとりが、年に数回あったのだけれど、
高校を卒業して父の迎えを必要としなくなるまで、
その食堂に、ついに父と一緒に入ることはなかった。
今日、しみじみと店内を見渡した。
父はひとりで、どの辺に座って何を食べたのだろう。
ゆずワンタンめんだろうか。
カツ丼だろうか。
脇看板の「ゆずワンタンメン」の文字。
父はいつも車を走らせながらこれを見ては、「食べていくか?」と聞いた。
天井はよく見ると網代天井になっている。
これは開店当時からのままなのだろうか。
わたしが頼んだのはもちろん「ゆずワンタンメン」。
あっさりしたスープに柚の香りがからんで、クセになる美味しさだった。
店主が体調をくずし、療養するための閉店なのだそうだ。
開店して48年とのこと。
震災のあとも、ほどなくして営業を再開したように記憶している。
どこのお店もまだ始めていない頃、ここで食べたラーメンはあたたかかった。
48年間、お疲れさまでした。ありがとう。
このお店と似たような大きさの
洋食屋でした。
私が一歳の時に開いたから
ここと同じくらい長く営業していました。
店を閉める時には
私は立ち会えなかったんですが
今でもいろんなお客さんのことを思い出します。
ごはんを食べている間は
みんな無心というか・・・。
小さかった私を
可愛がってくださった
おじちゃんやお兄ちゃんがたくさんいました。
先生のお父様も
私が記憶しているあの人たちのように
ほっとした顔で
柚子ワンタン麺を召し上がっていたのではないかと
そんな風に思いました。
この近くで一人暮らしをしていた学生時代、隣の八百屋やさん(か?)で買い物をしながら、いつかお隣りで食事してみたいなと思いつつ、1度も入ることはありませんでした。
辺りの風景はちょっと変わってしまったけれど、徒歩での暮らしが普通だった当時を懐かしく思い出しました。