ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

市民ミュージカル「人類の破片」

2009年07月20日 | Weblog
昭和20年、全国各地に原爆模擬爆弾が投下されたことを、2年前に書きました。
7月20日は、当市に投弾された模擬爆弾によって亡くなった少年の命日です。
追悼の市民ミュージカルは、今年で5回目になります。

写真は、亡くなった少年が眠っているお寺で保存している、実際の爆弾の破片。
長さは約50センチ、重さは約15キロだそうです。

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      【あらすじ】

場面は昭和20年頃。
兄と弟が紙飛行機で遊んでいます。
弟が、紙飛行機を木にひっかけてしまいました。
兄が、弟を抱きあげて、ひっかかった紙飛行機を取ってやっていました。
あんちゃん、また紙飛行機作ってね。弟が言います。
どこにでもある、兄弟のほのぼのとしたシーンです

場面は変わって、平成21年7月20日。
小学校教師のケイコ先生は、生徒たちを連れて、
近くのお寺に原爆模擬爆弾の破片を見学に出かけます。
太平洋戦争がどういうものだったかを、ヒロシマやナガサキだけではなく、
子どもたちに、身近なこととして知ってもらうためです。
先生と生徒たちは、ドレミの歌をうたいながら出かけました。
ところが生徒たちは、爆弾などには興味がなく、怖がってしまって、
勝手にどこかへ遊びに行ってしまいました。
ひとり残ったケイコ先生は、調子っぱずれのドレミの歌を口ずさみながら、
子どもたちにどう説明したらいいのか、考え込んでしまいました。
(ケイコ先生は音痴という設定です)

一方、場面は昭和20年7月20日に変わります。
タカオ少年が、朝から田圃に出かけ、田の草取りをしています。
その時、少年の耳に、聞き慣れない歌が聞こえてきます。
 ♪ド、はドーナツのド、レ、はレモンのレ・・・♪
「あれ、なんだべ・・・??」
少年は不思議に思いながら、田の草取りを続けていました。
そのうちに、今度は、音程の狂ったドレミの歌が聞こえてきました。
「誰かいるんですか~?」
タカオ少年は尋ねます。

するとその声はケイコ先生にも届き、7月20の同じ日、同じ時間、同じ場所で、
昭和20年と平成21年の時空を超えて、ケイコ先生とタカオ少年が会話します。

 あなたは誰ですか?

 どこから来たのですか?

 どこにいるのですか?

その時、ケイコ先生が自分の携帯の画面を見ると、
なんと、昭和20年7月20日になっているではありませんか!
ケイコ先生は、慌てて、持って来た資料の、当時の新聞を確認します。
昭和20年7月20日、午前8時30分過ぎ、この町に爆弾投下。
そこでケイコ先生は気付きます。
「も、もしかしてあなたは、タカオさんですか?」
声の主はそうだと答えます。
ケイコ先生は、慌てました。
「タカオさん、早く、早く、逃げてください!!」
必死に呼びかけますが、その声はなかなか伝わりません。

その頃、タカオ少年の耳には空襲警報が聞こえていました。
ずいぶん長い空襲警報だなぁ・・・・。
・・・・・と思っていたところに爆音が響き・・・・。

しばらくしてタカオ少年は、自分が死んでしまったことに気付きます。
少年の亡骸を発見したケイコ先生は、
「間に合わなかった・・・、」
・・・と泣き崩れます。
その時、幽体離脱したタカオ少年と出会います。

タカオ少年は、矢継ぎ早にケイコ先生にいろいろ尋ねます。


せんせは、いつの時代のひとですか?

 ・・・・64年後の、平成21年から来ました・・。

平成? 天皇陛下は・・? 64年たった・・・。
せんせ、この戦争は日本が勝ったんでしょう?

 ・・・・ケイコ先生は答えられません。

少年は尋ねます。

せんせ、この大きい爆弾は、何?

 ・・・(ケイコ先生は、言うべきか迷いながら)
 ・・・・せ、世界初の、げ、原爆模擬爆弾、です・・・。

少年はびっくりして、さらに尋ねます。

せんせ、爆弾で死んだのは、オレだけでしょう?
世界初の、・・原爆、って、・・なに?
そのあとに、なにがあるの? 教えて、せんせ・・・。
もうアメリカは、他にこんな爆弾は落としてないよね?

 ・・・・ケイコ先生は、目を真っ赤にして首を振るだけです。

じゃあ、64年後は、平和なんでしょう?
さっき、♪シー は しあわせよう、 ・・て歌ってた・・・。

 ・・・・ケイコ先生は答えられず、両耳を手でおおってしまいました。


タカオ少年は、ケイコ先生の様子に、すべてを悟りました。
そして、ケイコ先生の持っている携帯電話を借ります。
未来は田圃からでも電話できるんだね。
そう言って、届かないはずの電話で、かあちゃん、ねえちゃん、弟たちに、
最期の言葉を、電話で話しかけます。

 かあちゃん、俺です、タカオです。

 かあちゃん、おれ、田の草取り、がんばったんだよ。

 ごめん、田の草、残してしまった、・・ごめん。
 
 かあちゃん、俺、おっきな爆弾受けてしまった・・。

 俺の設計した飛行機にのせてやること、もうできね・・・。

 かあちゃん、兄弟たちに、伝えてください・・。

 あんちゃんは、もう、だめだ・・・。

 弟たち、ねえちゃん、みんな、生きろよ・・・・。


場面は変わって、また平成21年に戻ります。
ケイコ先生は、お寺の境内で気を失って倒れたことになっていました。
携帯の画面が壊れたぐらいで良かったよかったと、校長先生も安心していました。
音感の良くないケイコ先生が、子どもたちの歌の指導を上手にできたことも、
奇跡的だと校長先生はとても喜んでいました。
ケイコ先生は今度、広島にお嫁にいくので、学校を辞めるのです。
子どもたちは、お礼にドレミの歌をうたいました。
そして、先生に感謝のことばを伝えていました。
原爆模擬爆弾のことを教えてもらって、ありがとうございました、と。
そして、タカオ少年のお姉さんからも、学校に感謝のお手紙がきていました。
子どもたちに、少年のことを伝えてくれたことです。

また場面は変わって、お姉さんからの手紙の朗読とともに、
お姉さんの回想シーンになります。
タカオ少年は飛行機が好きで、いつか自分が設計した飛行機に、
ねえちゃんたちを乗せてあげると言っていたのだそうです。
昭和20年7月20日の朝、田圃に出かける少年を最後に見たのはお姉さんでした。
爆音が鳴り響いたあと、お姉さんは胸騒ぎがして必死になって弟を捜しました。
そして、田圃で変わり果てた弟の姿を見つけたのです。
家族の悲しみの中、
(ねえちゃん、生きろよ・・・・)
お姉さんには、弟の声がかすかに聞こえたように感じたのでした。
その後お姉さんは看護婦となり、若くして亡くなった弟の冥福を、
看護の仕事を通して祈り続けてきました。

最後の場面でタカオ少年がふたたび登場します。

 せんせい、きっといつか、せかいじゅうのひとが まあるくなって、

 ドーナッツ、っていうお菓子、たべれるよね

 ♪ドー は ドーナッツ、ソー は あおいそらー

 ♪シー は し・あ・わ・せ・ようー

 みなさん、し・あ・わ・せ・に~


得意だった紙飛行機を手に持って、舞台を一巡します。
実際に舞台を観に来て下さっている、
実在の「タカオ少年のお姉さん」の前にその紙飛行機を捧げ、
最後は破片の上に紙飛行機を置いて、幕になります。

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この日は、まだご存命のお姉様のほかに、
タカオ少年の同級生の方々も多数おいでになっていました。
広島・長崎の方々も毎年いらして下さっているとのことです。

タカオ少年が眠っているお寺の本堂で行われるので、
いわゆる「舞台」とはまた違ったお客さんと出演者との一体感があるようです。

わたしはほんの裏方の手伝いにもならないぐらいの役割ですが、
(しかもドレミの歌の伴奏の出だし間違えるし・・・(T_T) )
タカオ少年や出演者の方々の熱演には、つい涙が出てしまいます。

5年前、たまたま当市に転勤でいらしていた方が、
この事実をもっと広めなければいけないと考えて下さって、
脚本から演出まで手がけてくださり、始まった劇。
今も多くのボランティアの方々の協力で、上演することができています。

人の記憶は、歳月とともに風化されます。
あるものは美化されて残り、あるものは存在さえも無くなってしまうことも・・。
次の世代に語り継がなければならない事実を、わたしたちは忘れないように、
せめて年に数回でも思い出す日は、必要なのだと思います。

 (台詞などは、一部略してあります)