知音5月号の西村和子さんの芭蕉についての講演記を読んだ。「奥の細道」の写本と朗読を勧めてらっしゃる。
何でも400字詰め原稿用紙で30枚ちょっとだそうだ。ならできそうだわいと少しその気になった。
講演の中で芭蕉はよく泣くとおっしゃってる奥の細道に十回ぐらい出てくるそうだ。
西村和子さんはあの時代は男もなくのでしょうというが本来男も女も泣きたいときは泣くんだ
それを縛り付けたのは儒教だろう、いやその儒教の考え方が好都合と考えたやからがそうさせたんだ。
先祖崇拝、もそうだ。親を敬えなどはその典型だ。親になるまではそうでもなかったが、いつの間にか親になり、気がつけば親のそのまた親になった今、敬われるなんてとんでもない。
そんなええもんちゃう、だらだら酒を飲み続けたろくでなしを敬ってもしょうがない。
話がそれたがどうやらこの時代足元がぐらぐら、
またぞろヒットラーの亡霊が出てきたり
戦前の軍国主義万歳が堂々とまかり通る世になってきている
原点回帰という言葉を昔学生時代に盛んに戦わしたことがった
喜多だったろうか、菅野だったろうか
そのころ自分ではその原点が見えないことに、更なるいら立ちがとぐろを巻いていたのだが
儒教思想が自分の原点だったのかもしれない
つまり反・儒教こそが僕自身のよって立つ場所、すなわち原点だったのかもしれぬ。
何でも400字詰め原稿用紙で30枚ちょっとだそうだ。ならできそうだわいと少しその気になった。
講演の中で芭蕉はよく泣くとおっしゃってる奥の細道に十回ぐらい出てくるそうだ。
西村和子さんはあの時代は男もなくのでしょうというが本来男も女も泣きたいときは泣くんだ
それを縛り付けたのは儒教だろう、いやその儒教の考え方が好都合と考えたやからがそうさせたんだ。
先祖崇拝、もそうだ。親を敬えなどはその典型だ。親になるまではそうでもなかったが、いつの間にか親になり、気がつけば親のそのまた親になった今、敬われるなんてとんでもない。
そんなええもんちゃう、だらだら酒を飲み続けたろくでなしを敬ってもしょうがない。
話がそれたがどうやらこの時代足元がぐらぐら、
またぞろヒットラーの亡霊が出てきたり
戦前の軍国主義万歳が堂々とまかり通る世になってきている
原点回帰という言葉を昔学生時代に盛んに戦わしたことがった
喜多だったろうか、菅野だったろうか
そのころ自分ではその原点が見えないことに、更なるいら立ちがとぐろを巻いていたのだが
儒教思想が自分の原点だったのかもしれない
つまり反・儒教こそが僕自身のよって立つ場所、すなわち原点だったのかもしれぬ。