スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(安田純平)

2018-10-28 17:25:24 | 日記
10月28日(日)
 安田純平さんについて金平や玉川などが自己責任論批判をして、国民の本当の思いを覆い隠そうと必死になっている。
 国民は安田さんが日本に感謝しないことを怒っているのだ。解放された早々に言った言葉が、日本政府の働きによって解放されたと思われたくない、という趣旨の発言だった。政府の働きがなくて誰が解放してくれたというのだ。身代金をカタールに建て替えて貰ったのならいずれ返さなくてはならない。流行りの表現をすれば、国民の税金だ。テロ組織はその金を使ってまた新たなテロを起こし、人々を殺す。それでも日本人を助けたいと全国民が願っていたのに、感謝の言葉一つなく、ゆっくり休みたいだと。安田さんのジコチュウの姿勢に国民が怒って、自己責任論なる表現で安田さんに怒りを投げつけているのだ。
 一応、自己責任との論法で安田批判が国民の中で上がっているが、それはまだ十分に練り上げられた言語表現ではなく、まだどろどろとしているが国民の本当の心情は、助けられたのに感謝どころか政府を詰る安田という男は、人間としてどうなのかという所のものなのだ。この意識が伸びてゆくと普通の国のように、日本に国民意識が育ってしまうかもしれない。その生育を金平と玉川は阻止したいのだ。
 金平や玉川は国民が怒っているという事実を何とかテレビ画面から消したくて、自己責任論批判のスコラ哲学論争を起こして、国民の目を別方向に向けさせようとしているのだ。
 また私が思うに安田さんは特異な人で、金平や玉川を、取材をしない「記者」として馬鹿にしていると思う。金平や玉川はそれがとても痛いので、安田さんをことさら弁護することで、取材をしない「記者」である自分達の後ろめたさを、隠そう隠そうと必死なのでもある。俺は安田さんの側だぞ、そう国民にポーズを取って、自分を心理的に誤魔化しているのだ。
 日本人である私は、感謝の言葉を述べろと、安田さんに言いたい。解放に尽力してくれた日本に感謝しつつも、真のジャーナリストとして(金平や玉川とは違い)再び戦場に行かざるを得ない、その思いを訴えれば、国民だって自己責任論をぶつけて非難するような事はしまい。しかしどういう訳かそれをしないで安倍批判までする。嫁や家族もそうだ。変な織物を千羽鶴だと称して、本物の千羽鶴を貶めようとしているのか。プロ人質との誹謗さえ本当らしく思えてしまう。
 確かに3年も拘束された割には元気すぎる。あれで髭を剃ったら普通人と変わらないのではないか。髭は拘束のカムフラージュか。私も安田さんの言動には納得し難い点がある。カメラを没収されたことに怒って、そこまでするかと言っていたが、よく独裁国家の警官が記者のカメラからフィルムを抜くシーンをテレビなどで見るではないか。カメラを没収する方が普通ではないかと考える。今まで安田さんはカメラを没収されなかったのだろうか。私は没収されたはずだと思うが、ならば今回怒る理由が分からない。
 安田さんは半そでシャツ姿だった。拘束で心身が弱っているだろうに、元気なことだ。
 韓国人だと言ったのは日本人だと特定されないためというような変な、とても頭に入りずらい説明をしていたが、英語で言ったのならともかく日本語で喋っていたのだから、日本人と特定されないも糞もあるまい。フォント中村とそっくりな詭弁だと思う。
 今回安田さんは事件について何も説明しないで終わるだろう。事件の全容が日本国民に知らされて、ジャーナリズムの目的の筈である一記者の体験を全国民と共有することは、彼の反日ぶりから見るに、恐らくないだろう。

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