宮城谷昌光著の『三国志』第1巻を読んだ。『三国志』は中国の歴史小説でしばしば題材とされ、最近では北方謙三も書いている。大野図書館の書架に全巻が並んでいるのを見つけまず2冊を借り出した。
宮城谷昌光(みやぎたにしょうこう)は、1945年愛知県生まれ、早稲田大学第一文学部英文科を卒業し、出版社勤務や家業手伝いを経て、郷里(愛知県蒲郡市)で英語塾を開いていたが作家として売れるまで苦しい生活だったという。その後、立原白秋に出会い教えを受け、白川静の著書に出会って光明を見出す。宮城谷の作品には中国の歴史を扱った作品が多く、私もかなりの数を読んできたが、『三国志』を書いているのを初めて知った次第。
第1巻では、これまで書かれた三国志とは異なり、後漢朝の衰退していく様をしつこく感じるくらい描いている。劉邦が打ち立てた漢(前漢)は、王莽の簒奪によって途切れ、劉秀(光武帝)によって後漢として復活する(このことを書いた小説『草原の風』を以前に読んだ)。後漢の王朝も、皇帝が早世する中で若年の皇帝をたてることが続き、皇太后の摂政と外戚が権力をふるう時代が続き、政権そのものが腐れきって崩壊の過程を進む。この間では、そうした過程を描き、第10代皇帝「質亭」の即位までで終わる。「ところが、この質亭の在位は、わずか一年半であり、この少年皇帝は梁冀に毒殺されてしまうのである」と最後の締めくくりに書かれ、事態が一層深刻な方向に向かっていることを暗示している。読んでいて、暗澹とした気持ちになるのが防げない。
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